はじめに
ネットオークションには様々な出品があるが、我々が今注目しているのはマニアが撮影した鉄道写真だ。一般人の風景写真は名所などを狙うのでどれも同じような場所の同じような構図の写真が多くなる。その点鉄道マニアの写真は、彼らが狙った車両の背後に、特に名所でもない一般的な街並みが写っており、当時の街並みを知るには格好の資料となるのだ。
先日1枚の写真をネットオークションで落札した。
出品時の情報には「写真 古写真 電車 鉄道 鉄道写真 渋谷 山手線 昭和34年4月23日 渋谷東横より 60年前の渋谷」とある。情報にあるとおり山手線の車両を渋谷東横百貨店(その後の東急百貨店東横店)の屋上から撮影した写真だが、よく見るとその背景に昭和34(1959)年の山手線沿線の渋谷の様々な建物が写り込んでいる。
まずは落札した写真、そして新旧の地図を重ね合わせたもの(1962年当時の住宅地図と2024年現在の地理院地図)をお見せしよう。
写真上の赤い数字や線は説明のために書き込んだもので、写真上の建物の番号と地図上の建物の番号が対応している。写真には渋谷駅周辺から原宿方向へ、現在の代々木公園方面までが写っていた。
続いてひとつひとつの建物について解説する。
三和銀行
①写真に「銀行」とあるが、住宅地図で確認すると「三和銀行渋谷支店」である。この建物はその後南側にあった細かい区割りの一画とともに、「シブヤ109-2」を経て現在は「三千里薬品神南支店」がある「MAGNET by SHIBUYA109」となっている。[神南1-23-10]
丸大遊技場
②写真内には「◯大 麻雀」「麻雀・パチンコ・スマート・弓場」「弓◎場」、「ミシン」「ボタン」などの看板が見える。住宅地図には「パチンコ丸大」「麻雀」「平和荘」「丸大遊技場(スマートボール)」「コーヒー シャンナル」とある。様々な娯楽を集めた娯楽センターのようだ。
それにしても都内の繁華街に「弓場」とは。当時パチンコやスマートボールと並んで弓も娯楽のひとつだったのだろうか。
この建物は現在マクドナルドのある「丸大ビル」と「片倉コープアグリ株式会社 渋谷ビル」になっている。「丸大遊技場」の名がビルに残っている。
なお、小津安二郎の「東京暮色」(1957)の冒頭にこの弓場の「山手随一大弓場」という看板が映っている。[神南1-23-14]
住友信託銀行
③写真には「住友信託銀行」「貸付信託」などの看板が見える。住宅地図によれば「住友信託銀行渋谷支店」だ。この建物はその後9階建ての「渋谷住友信託ビル」に建替わったが、再度建替が行われ2024年現在「KCA渋谷プロジェクト」が2025年7月の完成に向けて建設中である。[神南1-22-3]
安田火災
④屋根の上に鋼材のようなものを組んで「安田火災海上」の字を配置したものが見える。住宅地図によれば「安田火災渋谷営業所」。この場所は「大盛堂書店」を経て現在「ZARA渋谷公園通り店」になっている。[神南1-22-4]
丸安百貨店
⑤屋根の上に◯に安のマークと「十ヶ月拂丸安」の看板、線路側にも看板が見える。この丸安百貨店はのちに「マルイ渋谷店ヤング館」「丸井渋谷店」となり、現在丸井渋谷店が2026年再開に向けて建替中である。[神南1-22-6]
三笠屋
⑥◯に笠のマーク、「三笠屋」の文字がみえる。住宅地図によれば「洋服三笠屋」。現在カラオケの「パセラ」がある「サンクスビル」付近。[神南1-22-9]
平和生命
⑦看板に「平和生命」の文字。住宅地図によれば「平和生命渋谷支店」。現在「セブンイレブン」がある「ダイネス壱番館渋谷」付近 。[神南1-11-5]
三井銀行
⑧この「三井銀行渋谷支店」は、その後「西武渋谷店 B館」になる。B館内には三井住友銀行渋谷支店が現存している。[宇田川町21-1]
蓬莱屋酒店
⑨屋根の上に「白雪」の看板。建物は蔵造りを模している。住宅地図によれば「蓬莱屋酒店」。現在の「眼鏡市場渋谷店」付近。[宇田川町20-1]
大正海上火災
⑩写真に「大正海上火災」の文字が見える。住宅地図によれば「大正火災渋谷営業所」。
「⑨蓬莱屋酒店」と同様、現在「眼鏡市場渋谷店」付近。[宇田川町20-1]
長嶋屋
⑪看板は「長嶋屋」と読める。1957年の住宅地図では「長嶋屋」だが62年の住宅地図では「住友信託銀行渋谷支店」になっており、この写真が撮られてまもなく建替えが行われたようだ。その後「⑫丸井百貨店」が南側に拡張、「丸井渋谷店本館」「マルイシティ渋谷店」を経て現在「渋谷モディ」となっている。[神南1-21-3]
※10と11の間の道路が現在の「公園通り」
丸井百貨店
⑫看板に◯に井のマーク、「丸井の家具・◯◯・◯◯・◯◯」という文字が見える。住宅地図によれば「丸井百貨店」。その後南側に拡張、「丸井渋谷店本館」「マルイシティ渋谷店」を経て現在「渋谷モディ」となっている。[神南1-21-3]
日本生命
⑬看板に「日本生命」の字が見える。住宅地図によれば「日本生命渋谷ビル」。現在建っている建物も「日本生命渋谷ビル」だが、おそらく一度建替わっている。[神南1-21-1]
協栄生命
⑭看板に「協栄生命」の文字。住宅地図によれば「協栄生命渋谷分室」。現在はタワーレコードの斜向かいにある「メゾン渋谷」。[神南1-12-18]
殖産住宅
⑮看板に「殖産住宅」の文字。住宅地図によれば「殖産住宅渋谷支店」。現在「タリーズ・コーヒー」がある「渋谷宮田ビル」付近。[神南1-12-14]
本間外科
⑯看板の字は読めないが、住宅地図によれば「本間外科」。その後この場所は「東京電力渋谷支社」「マックスファクター㈱」「マルイワン渋谷店」など様々な施設に移り変わり、現在は「ニトリ 渋谷公園通り店」となっている。[神南1-12-13]
渋谷区役所
⑰住宅地図によれば「渋谷区役所」「都水道局渋谷営業所」。渋谷区役所は1965年に現在の宇田川町1-1に移転するまでこの場所にあった(渋谷区「渋谷区の歴史」より)。
移転後この場所は「東京電力渋谷支社」「電力館」を経て現在「東京電力パワーグリッド 渋谷支社」になっている。[神南1-12-10]
のんべい横丁
⑱現存している。住宅地図には当時の各店名が記載されているが細かくて判読不能。[渋谷1-25]
中渋谷ガード
⑲渋谷西武から宮下公園方面に抜ける山手線のガード。写真に特徴的な半円形のトンネルが写っている。現存する。
宮下公園
⑳1953年に開設。当初の地面レベルの広場に遊具を備えた公園の様子が写っている。この後1966年に東京初の屋上公園として駐車場が整備されその上部に公園が移された。
2011年に立体都市公園制度により「ミヤシタパーク」として再整備された。
ワシントン・ハイツ
㉑写真には広い空き地を隔てて奥の方に建物が写っている。1962年の住宅地図には「ワシントン・ハイツ」に加え「代々木選手村」とあるが、ワシントン・ハイツの返還は1963年なのでオリンピック選手村の整備はまだ先、写真には返還前のワシントン・ハイツが写っていることになる。
白く見える空き地はワシントン・ハイツ南東端あたりの斜面、奥の建物はワシントン・ハイツ南東端の建物、住宅地図で「558」とある建物と推測される。
この一帯はその後「岸記念体育館」となり、その後2019年に解体、2024年現在「代々木公園」の拡張工事中だ。
さいごに
一見見過ごしてしまう風景写真でも、背景の写っているものを当時の地図に照らして調べることで、また違った楽しみが生まれ、写された地域への理解も深まるといえよう。【吉】