「月夜の傘」(久松静児監督/1955年8月21日公開/日活)。
原作は「二十四の瞳」の壺井栄の短編「月夜の傘」と「ピアノ」。
同年2月に公開された久松監督作品「警察日記」とかなりキャストがかぶっている。
「警察日記」で母子を演じた坪内美詠子(=坪内美子)と二木てるみが今回も母子の役。しかも二木てるみの役は同じ名前だ(「警察日記」は「ユキコ」、「月夜の傘」は「雪子」)。
東京郊外の住宅地に暮らす4家族の日常を描く。
年代の違う4人の妻たち(田中絹代、轟夕起子、坪内美詠子、新珠三千代)の井戸端会議、未亡人への縁談、学生の若い奥さんへの恋、中学生の息子のガールフレンドなどのエピソードをからませながら、強権的な父親(宇野重吉)が自らの態度をかえりみるまでを描く。
主婦たちが井戸端にしゃがんで手で洗濯をしながら賑やかにおしゃべりするホンモノの井戸端会議の様子が堪能できる。
この作品には、はっきり“主役”といえる人物はいない。
ぴったりとくっついて隣り合った家で暮らす4世帯の家族のさまざまなエピソードで綴るオムニバス的な群像劇である。
4世帯の紹介
小谷家 夫:耕平(宇野重吉) 妻:律子(田中絹代) 子:高志(渡辺鉄彌) 弘志(真塩洋一) 和子(加藤順子) | 宇野重吉はかなり頑固で短気なところがある中学教師。カッとなるといきなり怒鳴りつけるので子ども達から「暴君」と呼ばれていたりする。 田中絹代はあくまでも夫=父親を立てる古いタイプの妻。 長男の渡辺鉄彌は親友のラブレターの代筆をしてやる文才の持ち主で友情に篤い。兄弟3人仲が良い。 |
村井家 夫:隆吉(三島雅夫) 妻:かね子(轟夕起子) 子:健一(茂崎幸雄) | 轟夕起子は世話好きで朗らかで大きな声で話す闊達な人。だが一人っ子の長男茂崎幸雄を「家では秘密を持たない」と言い聞かせて育てたのに交際しているガールフレンドを内緒にされたことでおおいに落ち込む。 夫の三島雅夫も明るい好人物なのだが、妻に内緒で酒場の女性を愛人にしている模様。 |
小野家 夫:死亡 妻:妙子(坪内美詠子) 子:雪子(二木てるみ) | 坪内美詠子は戦争未亡人。村井家の一室を借りて6歳の娘の二木てるみと二人で暮らしている。坪内美詠子は村井家の紹介で父子家庭の男性鈴木吾郎(伊藤雄之助)と見合いをする。互いに見合いは断ったがその後映画館で偶然出会ったのをきっかけに良い雰囲気の交際が始まる。 |
倉田家 夫:信男(三島耕) 妻:美枝(新珠三千代) 子:なし | 倉田家は新婚1年の現代っ子の若夫婦。 三島耕は出張の多い仕事でなかなか家に帰れない。 新珠三千代は近所に住む学生杉幸彦が未婚のお嬢さんと間違えて片思いしてしまうほど見た目もふるまいも若々しい。 |
- この時代としては割と一般的であろうが若干古さのある亭主関白の5人世帯
- 生活にゆとりがあり子どもの意見をできるだけ尊重しようとしている中学生男子一人っ子世帯
- 夫を戦争で亡くした女性と女児のシングルマザー世帯
- 他世帯よりも一世代若い新婚夫婦の二人暮らし世帯
夫・子の有無、夫の浮気、子の性別など、家族のプロフィールの組み合わせがいずれも違う。
まるで昭和30年頃の東京郊外で暮らす家族のカタログのような4世帯なのである。
中学生の子供たちの日常がいきいきと描かれている。吉永小百合や浜田光夫のようなスターではない子役が演じるリアルな中学生像。
村井家の茂崎幸雄のハモニカを伴奏に元気に合唱する子どもたち。しかし、家で仕事をしていた宇野重吉は気が散って仕方ない。その様子を気遣う妻の田中絹代は子どもたちに静かにするよう注意するのだが、ついつい興が乗って子どもたちはまた大騒ぎして宇野重吉に特大のカミナリを落とされてしまうのだった。
ある日、子どもたちはニワトリを飼っていつも忙しい両親に卵を飲ませてあげようと計画し、ヒヨコを買ってきて鶏小屋をこしらえた。
ところが、子どもたちが庭の苔を踏んでいたので、宇野重吉は激怒し小屋を打ち壊してしまう。
その後、自らの行いを反省した宇野重吉は壊してしまった金網を買ってくる。後からそんなことするなら子どもたちだけで作った立派な鶏小屋を最初から褒めてやればいいのに!
こういう理不尽な描写もいかにも昭和の頑固おやじ的でリアルなのだった。
街で見かけた新珠三千代に恋してしまう近所の学生杉幸彦。
新珠三千代が既婚者だと知るとすっかりしょげてしまい下宿の引越しを考える。
その杉幸彦の友人が坪内美詠子の義弟の宍戸錠。ハンサムで快活で愛嬌よし。頬がふくらむ前の痩せていた時代の宍戸錠は、「警察日記」と「おふくろ」でも、こんな風にちょっと軽いが感じの良い若者を演じている(いずれもこの作品と同じ久松静児監督作品)。
そういえば「若いお巡りさん」(1956)でもこんな感じの若い警官役だった。
そして、何といっても6歳の二木てるみが驚くほど自然で驚くほどかわいらしい。
映画館で偶然に出会った伊藤雄之助親子と坪内美詠子親子は、雨宿りを兼ねて喫茶店で休むことにした。
親たちの“大人の会話”に飽きた伊藤雄之助の息子桜井真と二木てるみは、店内に陳列された水槽を見に行く。
二木てるみは桜井真に水槽で泳いでいる魚の名前を聞く。
二木「これ何?」
桜井「出目金」
二木「これ何?」
桜井「熱帯魚。エンゼルフィッシュ、スマトラ」
二木「エンゼルフィッシュ」
桜井「スマトラ」
二木「スマトラ」
ちょっとお兄さんの桜井真は水槽に掲示されていた魚の名と出身地を読んでやり、小さな二木てるみはあどけない声で復唱する。
「仲人の顔を立ててお見合いをしてみたものの互いに大きな子がいるから急に決断はできない」「子ども同士が仲良くするかどうかとか」などと語り合う伊藤雄之助と坪内美詠子の心配をふりはらう和やかなシーン。
その夜、布団を敷いている坪内美詠子の傍らで二木てるみが「エンゼルフィッシュ、スマトラ」と小さくつぶやいた。
喫茶店での子どもたちの会話を聞いていなかった坪内美詠子は「なあに、それ?」と聞き返す。
二木「おにいちゃんにおそわったの」
坪内「おにいちゃん?」
二木「うん」
坪内「フフ…」
二木「エンゼルフィッシュ、スマトラ」
やさしいおにいちゃんに教えてもらった珍しい言葉を口の中で味わうようにつぶやく二木てるみ。
素朴な顔立ちの小さな女の子が見せる恐ろしく繊細な演技に驚く。
かわいい。本当にかわいい。思わず両手で床を何度も叩いてしまうほどかわいい。
田中絹代、東山千栄子、轟夕起子、宇野重吉、伊藤雄之助といった豪華な演技陣が繰り広げる重厚かつ軽妙な味わい深い演技。この大所帯をすいすいすらすらと動かしてほのぼのと温かい作品を構築した久松静児監督の見事な手腕。
しかし、何といっても二木てるみの愛くるしさに我々は完全にノックアウトされてしまった。
「エンゼルフィッシュ、スマトラ」のシーンだけでもとにかく是非見てください。【福】