「遊び」(1971/大映/増村保造監督)。
増村保造監督の最後の大映作品。原作は野坂昭如の小説「心中弁天島」。
かつては「羅生門」「雨月物語」といった作品で海外の映画賞を受賞していた大映の経営が大きく傾き、大映と同じく経営不振に陥った日活と配給網を統合して設立したダイニチ映配の配給となっている。
貧しさにあえぐ製作会社同様、映画も果てしなく貧しく哀しい。
ストーリーをひとことで言うと、貧しい女工の16歳の少女が、街で半人前のチンピラの18歳の少年と出会い、持っていた金をすべて使い果たした挙げ句、川べりに捨ててあった穴の空いた小舟に乗って心中まがいの逃避行をするというお話。
こう書くとまるでロマンティックな青春ラブストーリーみたいだが、あらゆる要素に貧しさとみじめさがふんだんにまぶしてあって、見る者をとことんダークな気分に突き落とす。
そして、主役の少年と少女は何故か常に大声で怒鳴るように語り合い、感情の微妙な変化も風情も何もあったもんじゃない。
出会い
さて、主人公の少女(関根恵子/現・高橋惠子)は寮付きの工場で働いている。
給料日に彼女の安月給を目当てに母親(杉山とく子)が工場へ訪ねてくる。飲んだくれの少女の父(内田朝雄)は酔って事故死し、姉(小峯美栄子)は脊椎カリエスを患って寝たきり、杉山とく子は造花の内職をしている。
生活費やカリエスの薬代が足らず、杉山とく子は頻繁に関根恵子に借金をしにきている様子。
だが、今回は借金を断った関根恵子。
最初は娘に対して腰を低くして借金を申し込んでいた杉山とく子は、きっぱり断られると態度を一変させ「私達に死ねというのか」と関根恵子を責めたてる。
かつて工場で働いていたヨシ子(甲斐弘子)が、派手な化粧とワンピースで寮に遊びにきたことがあった。うらやましがる女工達。
キャバレーのホステスに転身した甲斐弘子は、こんな工場で働くよりキャバレーの方が実入りが良いと皆に勧める。
甲斐弘子はキャバレーのマネージャー(仲村隆)を連れてきており、仲村隆は一日最低いくら貰えて、指名がかかればいくらいくらとキャバレーの高収入を女工達に説明する。つまりはホステスのスカウトに来たのだ。
実家へ金を入れなければ母や姉の生活が立ち行かない関根恵子は、キャバレーへ転職するため赤電話の隣に置いてある電話帳をめくって甲斐弘子の家の電話番号を探している。
その様子を見ていた少年(大門正明)は、関根恵子から電話帳を乱暴に取り上げ「オレが探してやる」と電話帳を繰る。
これが二人の出会いだった。
結局、甲斐弘子の家の電話番号は見つからなかった。甲斐弘子が勤めているというキャバレーに電話をかけようかとも思ったが、この時間、キャバレーはまだ開店前だ。
そこで、大門正明は関根恵子を遊びに誘う。
荒っぽいけれどまるで彼氏が彼女をデートに誘うような親しげな態度で誘ってくる大門正明に、関根恵子は素直についていくことにした。
たかだか電話番号を探すのを手伝ってくれただけの見ず知らずの少年に誘われ、こんなにも簡単にフラフラとついていってしまうものだろううか?
実家へ仕送りするため彼氏を作るどころか同僚と遊びにすら行かずにつましい生活をしていた関根恵子は、初めてボーイフレンドらしきものができたのが嬉しかったのかもしれないし、あるいは貧乏に絶望して捨て鉢になっていたのかもしれない。
すけこまし
関根恵子には「兄貴の店を手伝っている」などと言ったが、本当は大門正明はヤクザの子分見習いをしているチンピラである。兄貴というのはヤクザの兄貴分のことなのだ。
大門正明は関根恵子をガールハントしたわけではなく、“すけこまし”たのである。
昭和中期の映画によく登場する“すけこまし”とは、街で見かけた女性を騙して連れてきて強姦したり風俗店に売り払ったりすることを指す。
ヤクザとしてはまだ半人前の大門正明は、初めての“すけこまし”を成功させるべく、兄貴(蟹江敬三)に獲物が手に入ったことを知らせるため事務所に公衆電話で何度も連絡を入れる。
蟹江敬三の一味がおこなっている“すけこまし”は、女性を旅館に連れ込んだ後、ぶん殴って弱ったところを輪姦し、その様子を撮影するという悪辣なもの。
大門正明は自分が強姦する番になっても勃起せず使い物にならなかったので、兄貴分の蟹江敬三や先輩の平泉征(現・平泉成)達からバカにされていた。
大門正明と関根恵子は喫茶店に行き、互いの年齢や仕事を聞いたりした。
さらに、大門正明が大好きな任侠映画を見たり、ディスコで踊ったり、行きつけのバーで甘いカクテルを何杯も飲ませたりし、最後に蟹江敬三から指定された旅館に連れていった。いつもの手口で輪姦するつもりなのだろう。
一方、関根恵子は初めての映画館、初めてのディスコ、初めての飲酒という、初めてづくしのデートをドキドキしながらもおおいに楽しんでいる。
初めての“すけこまし”をするつもりだった大門正明は、デートをしているうちに素直で清純な関根恵子が好きになってしまう。もし、蟹江敬三に見つかったら半殺しの目にあうことをわかっていながら、大門正明は関根恵子を連れて旅館を逃げ出した。
大門正明はどうせ殺されるなら最後に思いきり贅沢をしようと、タクシーに乗り込みちょっと良いホテルに泊まることにした。
生まれて初めて見る広い部屋、清潔な様式トイレ、キレイなバスルーム、豪勢な食事に関根恵子は驚きたじろぐ。
そして、食事の後、空になった食器を洗面所で洗いだす関根恵子。ホテルなど一度も泊まったことがないので普段の生活通りに食器洗いをしているのだ。
それを見た大門正明はビックリするが、家庭的な関根恵子にますます惚れ込んでしまうのだった。
生い立ち
大門正明が回想する。
おんぼろアパートの1階の部屋に窓から忍び込み、台所の冷蔵庫からハムとソーセージを盗む大門正明。
実はこの部屋には大門正明の母親(根岸明美)が住んでいる。
出くわしたアパートの管理人(田武謙三)に近所から苦情が出ていると文句を言われてしまう。
「部屋は貸すが中で妙な真似されたら困る。おめえの母ちゃんな、毎日のように違う男を引っ張り込んで何してんだ? ここはパンパン宿じゃねえぞ」と言う田武謙三に、「馬鹿野郎! おふくろはな、寂しいから男入れるんだ! 相手にこづかいやってもよぉ、1円だって貰うもんか!」と怒鳴りつける大門正明。
だが、田武謙三に「人にやる金があるのか? 部屋代も貯めてるし、食うにも困ってるんだろう?」と言い返され、「おふくろの悪口はよせ、ただじゃ済まねえぞ」とナイフを取り出し凄んでみせた。田武謙三は呆れて退散した。
言動は粗暴だが、母の寂しさを理解する優しい息子なのだ。
その優しさが哀れである。
盗んだハムをかじりながらアパートの外から根岸明美の寝室を覗くと、今まさに若い男と同衾中だった。
大門正明はアパートの外に座りこみ、見知らぬ若い男と性交している根岸明美のあえぎ声を聞きながら暗い表情でハムをかじり続けるのだった。
一方、関根恵子の回想はさらに悲惨である。
母杉山とく子と関根恵子が黙って飯をかきこんでいる。寝たきりの姉小峯美栄子は布団に入ったまま食べている。
小峯美栄子が「おかあちゃん、ちょっと!」と大声で杉山とく子を呼びつけた。
「気持ち悪くて我慢できないの! おしめ、早く取り替えて!」と怒鳴る小峯美栄子。
杉山とく子が小峯美栄子の浴衣の裾をめくっておしめをはずすと、おしめは経血で汚れている。
汚れたおしめを見ながら「やれやれ、寝たきりの病人にもメンスがあるなんて。神様も酷いことをするね!」と杉山とく子は顔をしかめる。おしめを替えながら「結婚できるわけでなし、面倒が増えるだけさ」と顔をしかめたまま愚痴り続ける杉山とく子。
小峯美栄子はただ歩けないだけで頭ははっきりしている娘だ。16歳の関根恵子の姉だからハタチ前後だろう。そんな年頃の長女のおしめを替えながら母親がこのセリフを言うのである。
「杉山とく子」と聞いてもピンとこない方がいるかもしれないが、昭和生まれならテレビや映画で一度やニ度はきっと見たことがあるはずだ。一度見たら忘れがたい個性的な顔。
母の苛酷な物言いを聞いた関根恵子は「おかあちゃん! お姉ちゃんのおしめは私が洗うわ」と言って立ち上がり、おしめをたらいで洗い始める。だが、木綿に染みこんだ経血の跡は水で必死に洗っても落ちない。思わず「おかあちゃん! この血、いくら洗っても落ちないわ」と訴える関根恵子。
「お姉ちゃんの恨みがこもってるのさ。病気でなければ今頃いい旦那さん見つけて、子どもも産んでるよ」と杉山とく子は疲れた表情で言う。それを聞いた小峯美栄子は「うるさい! 黙ってて!」と声を荒げるのだった。
誰も悪くはないのだ。杉山とく子も小峯美栄子も。もちろん関根恵子も。
ただ家に金がないというだけで、教育を受けられず、安い賃金で働き詰めて疲れ果て、寝たきりの小峯美栄子の脊椎カリエスの薬は買えず、もちろん入院したり手厚い治療も受けられない。
狭い家で家族が顔を突き合わせ互いを罵り傷つき、ただ黙って粗末な食事をとるしかない。
圧倒的な絶望感。何という救いのない貧乏の描写だろう。
旅立ち
ちょっと良いホテルで豪勢な食事をした後、関根恵子と大門正明は結ばれた。
翌朝、ホテルを出ると青い空が広がる晴天だった。
ホテルの支払いを済ますと一文なしになってしまった二人だが、今は開放感にあふれている。
熱烈にキスを交わし、のびのびとした表情で野原を走り抜け、川岸にたどりついた二人はおんぼろの小舟を見つけた。
洋服を脱ぎ捨て下着姿になった二人は、小舟につかまってバシャバシャとバタ足で川に漕ぎ出す。
関根恵子は「泳げない。全然」と言うし、大門正明も「オレも金槌さ」などと言っている。
その上、小舟は穴が空いているようで水がどんどんあふれてくる。
だが、浮世の苦しさをきれいさっぱり忘れてしまったような幸福な二人は頓着せず小舟につかまってバシャバシャと川を泳いでいくのだった。
ここでエンドマーク。
どこかの岸にたどりつき、ヤクザ達から逃れて楽しく暮らしただろうか?
あるいは、これは心中だったのだろうか?
このまま小舟が水でいっぱいになり岸にもたどりつけなかったら、全然泳げない関根恵子は水の底に沈んでしまうだろう。
実は二人はホテルで既に死んでおり、青空の広がる草原のシーン以降はあの世へ向かう彼らの死後の姿とも考えた。
二人が結ばれたシーンの最後に関根恵子の初体験の出血で汚れた浴衣が一瞬映し出されるが、これは大門正明のナイフで二人が血を流して心中したことをあらわす暗喩……と見るのはうがちすぎか。
一生性交できないと母親に思われている寝たきりの姉のおしめの経血と、愛する男性と初めての夜を過ごした妹の初体験時の出血を単に対比させただけかもしれない。
とてつもなくどんよりとした描写と主演二人の生硬すぎる演技のせいか、我々の間で評価が大きくわかれた。
吉野は「大門正明の芝居が大声を出すの一点張りでツラい。これが増村保造の映画? 70年代の日本映画の凋落をまざまざと感じる作品」と評していたが、みやしたは「貧しい若者達のぶざまな生き方がいかにも昭和40年代の気分にあふれている」と感じ、割と気に入っているのだった(とはいえ、大門正明がずっと大声なのはやはりうるさいと思った)。
公開当時16歳ながら全裸シーンを演じた関根恵子の豊かな乳房と堂々とした臀部が印象的な90分。【福】