戦時中の異色教育映画「愛の世界 山猫とみの話」

高峰秀子主演「愛の世界 山猫とみの話」(1943年 / 青柳信雄監督 / 東宝)。
今年は高峰秀子生誕100年というメモリアルイヤーなので各局こぞって高峰秀子作品をオンエア中。

佐藤春夫、坪田譲治、富澤有為男の合作小説が原作の教育映画。
自然の中を駆け回る明朗闊達な娘が山猫と出会い友情を深めるというようなほのぼのとしたお話かと思ったら、実は以下のようなストーリーなのだった。

幼い頃に両親と死別したとみ(高峰秀子)は、曲馬団に引き取られてこき使われている内に、「山猫」と呼ばれる16歳の問題児となっていた。少女専用施設の山田先生(里見藍子)に身柄を引き取られるが、他人を拒絶するとみの頑なさと、彼女に優しく接する山田の態度が他の生徒から反発を招く。 ある日、とみは脱走した先で農家の幼い兄弟と出会い、その健気な様子に心を開き始め…。

日本映画専門チャンネルより

上記の「少女専用施設」というのは、かつて「感化院」「教護院」と呼ばれていた非行少年や非行少女の保護・教化の目的で設けられた施設のことで、現在は「児童自立支援施設」と名称が変わっている。

無論、この映画に山猫は一匹たりとも登場しない。
タイトルの「山猫とみ」というのは、高峰秀子演ずる主人公の小田切とみのことである。
気が短く暴力的なとみは、他者と一切口をきかず目ばかりギョロギョロさせておりまるで山猫のようだということで、このちょっとカッコいいニックネームを頂戴しているのだった。

とはいえ、当時19歳の高峰秀子の顔は優しげで体も大きく、すばしっこい山猫娘という感じは全然しない。むしろ、裁縫の時間に取っ組み合いの喧嘩をした相手の梅木の方が目がギラギラしていてよほど山猫っぽい。

さて、この映画のポイントは1943年に公開された作品だということ。
そう、戦中の映画なのだ。
戦後に作られた戦時中の話の映画ではなく、戦争の真っ最中の1943年に撮影された現代劇。

だから、裁縫の時間に喧嘩をして部屋をめちゃめちゃに破壊した少女達へ、教護院の四辻院長(菅井一郎)はこう説教する。

四辻院長「(床に転がっていた靴下を拾い上げ)これは誰が作ったんだ?」
少女津村「はい、私たちでございます」
四辻院長「じゃあ、これはどこへ納めるんだった?」
少女小松「軍隊です」
四辻院長「そうだったな。ああ、軍隊だったね。兵隊さんはこれを毎日使ってお国のためにご奉公してくださるんだ。それで私たちは精一杯の誠と喜びをもってこれをこしらえておったんだ。それを投げたり壊したり。今、日本は何をしとるんだ? 今、日本は何をしておるのか、忘れたのか?」
少女浅野「戦争しています……」
四辻院長「そうだ。日本人という日本人は、男も女も年寄りも子どもも一人残らず戦争しとるんだ。よく考えてごらん。その戦争に参加しとらんのはお前たちだけじゃ。それを残念だと思わんのか? 申し訳ないと思っとらんのか。お前たちだって日本人だ。心がけひとつでどんなにだってお国にご奉公ができる。一尺でも土を耕せ。それがお国のためだ。ひと針でも多く縫うんだ。それがお国のためになるんだ」

喧嘩の理由も聞かずにいきなり怒鳴りつけたりぶん殴ったり飯抜きの罰を与えるわけでもなく、戦争は悲惨なものだったと観客にメッセージを送ったりしない。教護院の院長は滅私奉公の幸せを少女たちに穏やかに説く。
これが戦時中に作られた教育映画のリアル。

劇中、神保町交差点に現存する「廣文館書店」が映る。
戦時中だから「戰ひ抜かふ大東亞戰」はガチのメッセージ。ヒトラーの「吾が闘爭」もガチで売出中(「吾が闘爭」が左から右に書かれているのは何故?)。
「甘栗太郎」をはさんで左の「福垣書店」は今「欧風カレーガヴィアル」。路面電車の軌道と歩道上の交番が見える。

「愛の世界 山猫とみ」より
Googleマップより

とみが教護院を脱走してたどり着いた家の幼い兄弟の自然な演技、誰とも口をきかず反抗的な態度を崩さないとみと気の弱い新人の山田先生を温かく見守る院長役の菅井一郎のおおらかさ。そして爽やかなハッピーエンド。

ふっくらと健康的で可愛らしい高峰秀子が不良少女を演じるギャップや「不良少女が収容されている施設というのは一体どんな所なんだろう?」という観客の好奇心を満たした上、報国の大切さを教えるという見事な教育映画である。
監督の青柳信雄は江利チエミの「サザエさん」シリーズなどコメディ映画を山のように撮っている。また、市川崑が演出助手を務め、特殊撮影は円谷英二、脚色に名を連ねる「黒川愼」は黒澤明の別名だそうだ。

だが、どのような作品にも批判はつきものである。
雑誌「宣傳」(日本電報通信社 / 1943-03)の木村太郎という人による「映画時評」のコーナーにはなかなか厳しい批評が書かれていた(日本電報通信社は電通の前身)。

  • 時代認識に欠けている
  • この映画の世界は甘い感傷で今日の時代など何処吹く風かと嘯いている
  • トミが女教師に可愛がられるというのも同性愛的な感じさえある
  • 女教師に可愛がられていることを他の少女にねたまれ脱走するトミの行動も不得要領で説明が十分でない
  • 戦時下の感化院らしい描写は一つとして見られない
  • トミの脱走も肯定的に受け入れられていて楽しそうな素振りはどうしたものか

と、いかにもこの時代の空気を反映している批判に加え、主演の高峰秀子に対してもかなり辛辣なことが書かれている。

それにほんものゝ不良少女でなければならない高峰秀子のトミは、寧ろ可憐すぎて不良少女らしいところがない。たゞ甘つたるくて感傷的で、さういふ點では健康らしさのない神経質な憂鬱性が溢れてゐて、かういふ少女が高峰秀子の愛好女學生や娘たちに受けるのであらうか──。働く女性の職域奉公が謳はれてゐるときにかういふ線病質な都會少女の翳などどうであらう。

「宣傳」(日本電報通信社 / 1943-03)より

かういふ少女が高峰秀子の愛好女學生や娘たちに受けるのであらうか」にはシビれた。そこまで言うか太郎。1943年のデコちゃんファンたちはこれを読んでさぞ腹を立てたことだろう。

ところで、この映画について調べていたら、「東宝産報会報」(1944-02)という雑誌に、「南方留學生の選んだ映畫九傑」という記事が載っていた。
「南方留学生」というのはおそらく「南方特別留学生」のことで、「太平洋戦争下、日本は南方の占領地域から200名を超える国費留学生を迎え入れた(倉沢愛子「南方特別留学生が見た戦時下の日本人」より)という制度で、ウィキペディアによると「現在のマレーシア・インドネシア・ミャンマー・タイ・フィリピン・ブルネイであり、当時の各地の有力者、政治家の子弟などそれぞれの土地の将来を担うと見られた有為の人材が多かった」という。

記事によると「映配南方局主催、南方留學生招待映画會」という催しがこの年行われたようで、その第1回から第9回までのうち彼らが選んだ作品がこれ。

松竹「海軍」監督:田坂具隆
出演:山内明 / 志村久 / 青山和子 / 風見章子 / 小澤榮太郎 / 東野英治郎 / 笠智衆 ほか
東寶「熱風」監督:山本薩夫
出演:藤田進 / 原節子 / 沼崎勲 / 黒川弥太郎 / 菅井一郎 / 花井蘭子 / 清川荘司 ほか
東寶「姿三四郎」監督:黒澤明(監督デビュー作)
出演:大河内傳次郎 / 藤田進 / 轟夕起子 / 月形龍之介 / 志村喬 / 花井蘭子 ほか
東寶「愛の世界」監督:山本薩夫
出演:高峰秀子 / 小高つとむ / 加藤博司 / 里見藍子 / 谷間小百合 / 田中筆子 / 一の宮敦子 / 菅井一郎 ほか
大映「一乗寺・決闘」※記事では大映作品となっているが日活の「宮本武蔵 一乗寺決闘」ではないか?
松竹「愛機南へ飛ぶ」監督:佐々木康
出演:原保美 / 信千代 / 佐分利信 / 河村黎吉 / 笠智衆 ほか
東寶「決戦の大空へ」監督:渡辺邦男
出演:高田稔 / 原節子 / 黒川弥太郎 / 小高まさる / 英百合子 ほか
大映「結婚命令」監督:沼波功雄
出演:中田弘二 / 眞山くみ子 / 藤原鶏太 / 月丘夢路 / 逢初夢子 / 堀留夫 / 隅田一男 / 上代勇吉 / 高松律子 / 國分ミサヲ / 山田耕子 / 都健太郎 / 海原鴻 ほか
東寶「磯川兵助功名噺」監督:齋藤寅次郎 / 毛利正樹
出演:榎本健一 / 花井蘭子 / 黒川弥太郎 / 若原春江 / 清川莊司 / 高勢實乘 ほか
※「東寶」は「東宝」の旧字

勇ましいタイトルがズラリと並ぶ中、著しく異彩を放つ「愛の世界」。
留学生の若者たちは、戦争ものだけではなく、不良少女役の女優や愛くるしい子役たちが活躍する山猫とみののどかな話を楽しんだのだろう。

「救護院」「戰ひ抜かふ大東亞戰」「吾が闘爭」「職域奉公」「映配南方局」「南方特別留学生」と、調べてみるとこの時代ならではトレンドワードが並ぶ「愛の世界 山猫とみの話」。
兵隊さんも戦闘機も銃も防空壕も千人針も特高も出てこない戦時中ど真ん中の異色作だった。【福】

目次