「おふくろ」(久松静児監督/1955年/日活)。
1954年公開の久松監督の「警察日記」に出演した宍戸錠、澤村貞子(沢村貞子)、千石規子、二木てるみらが起用されている。
タイトルロールの「おふくろ」役は、三益愛子と並んで“母もの女優”と呼ばれていた望月優子。
浅草のカジノ・フォーリーのダンサー出身で、映画界に転じてからは「教養のない中年女役で独自のニュアンスを持った個性的な演技を示している」(平凡社「大人名事典」1955)というタイプの脇役、特に母親役で人気を博し、その後、日本社会党から出馬して参議院議員を務めるという異色の経歴を持つ人である。
物語を貫くのは、夫をなくした母親(望月優子)の息子(木村功)に対する過剰な愛情。
ネチネチした長崎訛りとトンチンカンなふるまいが癇に障る。
息子に対する思いが強すぎて他人とのコミュニケーションにも障害が出ており、木村功のバイト先の奥さん沢村貞子は困惑し、望月親子が住む貸家の1階に住んでいる千石規子は辟易する。
翻って娘(左幸子)への評価は低く、娘の長所である明るさ活発さは認めようとしない。
別段、虐待しているわけではなく娘のこともそれなりに甘やかしてはいるのだが、息子への猛烈な愛情に比べるとかなりぞんざいな扱いである。
ここで描かれるのは「おふくろ」というタイトルから連想される温かさや優しさなどではない。今でこそ「毒親(毒になる親)」という言葉が一般化しているが、この映画の望月優子はまさに毒親である。
この時代にこんな母親像を描いた久松静児の視点に驚く。
まあ、この時代の長男というのはまるで殿様のように大事に育てられることが多かっただろうから、望月優子が木村功ばかりちやほやするのは仕方ないのかもしれない。
一方、この時代の娘は家事を手伝うのが当たり前だったはずだが、左幸子が家事をする様子は描かれず、のんびりと学校生活を楽しんでいるのが新鮮だった。
大学生と高校生の兄妹がまるで子ども時代の延長のような取っ組み合いをしたり、妹がコタツでだらけていたりと、兄妹の生活の描き方がかなりリアル。
こういう兄妹関係は、なかなかスクリーンでは描かれていないのではないだろうか。
家長である父親がいないせいか、男尊女卑的な権威や躾と称する兄妹格差が若干ゆるんでいるように見える。この時代の映画では見かけないリアルなだらしなさの描写に唸る。
「おふくろ」という郷愁を誘う4文字に条件反射で滂沱の涙を流す観客も少なからずいるだろう。
だが、この映画のおふくろは「あったかいおふくろ」「優しいおふくろ」「厳格なおふくろ」「懐かしいおふくろ」といった人物ではない。ここにいるのは、息子だけに激烈な愛情を注ぎ続ける「しつこいおふくろ」である。
そして、望月優子以外は感じの良い善人ばかりなので、おふくろのエグみをより際立たせているのがおそろしい。
宍戸錠がハンサムでおっとりした友人モッちゃん役を好演。エースのジョーはこんな演技もするんだ。
そして、千石規子の娘役の二木てるみは6歳にしてすでに天才。大福を食べながら望月優子と会話するシーンには腰を抜かした。もぐもぐしながら台詞は明瞭。おそらく実際は齧っていないのだろうがちゃんと大福を食べているように見えるのが巧い。
「おふくろ」は、息子への愛情に溺れている辛気臭い母親や気の弱い息子やお転婆な娘の生活を綺麗事抜きで生々しくもいきいきと描いた優れた作品だと思う。
時代を超越するこの毒親映画を、「おふくろ」という誰もが抗えぬ催涙ガス的なタイトルでコーティングした久松静児おそるべし。いや、久松監督はストレートに母子の愛情を描いたつもりかもしれないけど!
昭和30年の毒親を皆様もぜひ確認してほしい。
そして、朴訥な宍戸錠、元気溌剌な左幸子、天才子役二木てるみの三人の可愛さを味わっていただきたい。【福】