―映像が語る「失われた渋谷」―
私たち「東京福袋」は、2022年より映画やドラマの舞台となった渋谷のロケ地を特定するプロジェクト「映像の中の渋谷」を続けてきた。
約4年にわたり数多くの作品を見続ける中で、背景の中に一瞬映り込む渋谷から、当時の空気感を色濃く封じ込めた舞台装置としての渋谷まで、多種多様な渋谷の姿に触れてきた。
今回はその中から、「過去の渋谷が主要な舞台であり、現在とは劇的に異なる姿を記録している作品」を厳選し、ベスト10形式で紹介する。
渋谷は絶え間なく更新され続けている。過去の映画やドラマがその映像記録として価値を持つことが、広く世に認知されることを願っている。
愛しながらの別れ(1965)
―道玄坂の消えたマーケット街を浜田光夫が駆け抜ける―
主なロケ地:
東急本店通り / 道玄坂1丁目 / 渋谷センター街 / 恋文横丁などのマーケット街 / 道玄坂 / 道玄坂下交差点
やくざの世界から抜けきれない青年(浜田光夫)が、対立するやくざの組員の妹(和泉雅子)と恋仲になってしまったことから始まる悲劇。
この作品にはまだアーケードがある頃の東急本店通りや、現「マークシティ」あたりの高台からの眺めなどが登場するが、本作の真骨頂はラスト8分にわたる浜田光夫の逃走シーンだろう。このシーンで浜田は渋谷の街を縦横に走り回るのだ。
組長(安部徹)から和泉雅子の身柄を引き渡すよう迫られた浜田光夫は、センター街にある組の事務所を飛び出し、文化村通りを渡り、現在の「渋谷プライム」や「ヤマダデンキ」の場所にあった恋文横丁などのマーケットの中を駆け抜ける。
さらに道玄坂を渡り現在井の頭線西口のある大和田ガードを抜けて渋谷駅東口、井の頭線への連絡橋の下へと逃げ回る。逃走の途中で強盗の疑いをかけられた彼は最後に渋谷駅前の現スクランブル交差点で警察に確保される。
軒と軒がふれあうほど狭く雑然としたマーケット街を浜田光夫が全力で駆け抜けるスピード感が素晴らしい。

現在の「SHIBUYA109」とその周辺は戦後建設されたマーケットがしばらく残っていた場所で、1963年の「長谷川スカイラインビル」(現「ヤマダデンキ」)、1969年の「緑屋」(現「プライム」)、1979年の「SHIBUYA109」の建設などを通じて現在の大きなビルが建ち並ぶ街並みに変貌していった。細い路地をつぶし十数年で同じ場所とはまったく思えない街になってしまったこの場所の変貌ぶりに驚く。
この映画は東京オリンピック直前、1964年当時のマーケット街を内部まで捉えた貴重な映像資料と言えるだろう。


狂熱の季節(1960)
―川地民夫がさまよう渋谷川周辺の消えた街並み―
主なロケ地:
道玄坂小路 / 渋谷駅前 / 銀座線渋谷車庫 / 稲荷橋小路 / 東急文化会館 / 渋谷川 / 道玄坂 / 道玄坂1丁目
60年代の虚無的な若者たち(川地民夫、郷鍈治、千代侑子)の刹那的な日常を描く。
渋谷を根城にする彼らはジャズ喫茶にたむろし、外国人相手に売春をしたり、盗みを働いたり、女性を強姦したりと刹那的な行動を繰り返す。一方、彼らと対峙するのは長門裕之や松本典子などインテリ層の若者。
時代は学生活動が勢いを増してきた60年代。この映画ではインテリや不良を含めて若者全体を覆っていた漠然とした不安や怒りが全体を通して伝わってくる。
川地たちが住んでいるのは東横線高架横の、電車が通ればひどく揺れる安下宿。窓からは「東急文化会館」(現「ヒカリエ」)が見えるが彼らはハイカルチャーとは無縁だ。川地民夫が「東急文化会館」に足を踏み入れるのも以前強姦した松本典子の個展をひやかすためである。
主人公たちがたむろするのは「デュエット」という実在のジャズ喫茶だ。道玄坂小路にあった同店前で撮影している。「DUET」と書かれたドアを開けて中に入っていくシーンがあるので内部も同店舗内での撮影と思われる。
外国人と千代侑子が入る連れ込み宿は「マークシティ」横の坂の上にあった「あたり荘」、公衆電話を盗むシーンは「三千里薬品」の前身「三千里食堂」で撮影されている。千代侑子が向かう産婦人科は道玄坂1丁目に当時あった「駒沢大学渋谷校舎」だ。
1966年頃まで続いた土地区画整理事業の工事だろうか、彼らが訪れる渋谷はいずこも舗装がはがされ、工事が行われているほこりっぽい街だ。
川地民夫が早朝に牛乳や新聞を盗んで回る場所は稲荷橋小路。稲荷橋小路は渋谷駅の南、東横線の高架と渋谷川の間、「田中稲荷神社」の参道沿いに戦後発達したマーケットで、戦災復興土地区画整理事業と六本木通りの拡幅に伴い消滅した。現「渋谷ストリーム」手前の「セブンイレブン」がある「渋谷オミビル」から六本木通りに向けて延びていた形である。

また彼らが鉄くず拾いの少年たちを見つけるのは、当時駅前を流れていた渋谷川の宮益橋だ。現在は暗渠化され宮下公園へ向かう道に変わっている。ハチ公口を出てガードをくぐった先に水辺があった光景を想像すると、現在の渋谷は一つの大きな魅力を失っているようにも感じられる。


踏みはずした春(1958)
―50年代の渋谷駅前にたむろする不良少年小林旭―
主なロケ地:
道玄坂 / 渋谷駅前 / 稲荷橋小路 / 銀座線車庫 / 東急文化会館
ボランティアの女性(左幸子)が少年院帰りの少年(小林旭)に寄せる思慕と別れ。
少年院を出た小林旭が仲間と再会するシーンでは、バイクで走る野呂圭介たちの横に「道玄坂百貨街」の看板が見える。「道玄坂百貨街」は「愛しながらの別れ」(1965)の項で述べたマーケット街の一つで現在は「ヤマダデンキ」や「渋谷プライム」になっている。
野呂圭介たちが渋谷駅前にたむろしていると小林旭が通りかかる。背後には「大林百貨店」。百貨店という名はついているが実体は木造2階建のマーケットだ。この建物は現在「渋谷駅前ビル」になっているが、現在もテナントに飲食店あり、不動産屋あり、診療所あり、サラ金ありとマーケット時代の雑然とした店舗構成をひきずっているのが面白い。

出会った3人が話し込む地下道入口の背後には完成間もない「東急百貨店東横店」。そして車庫から「東急百貨店」内のホームに向かう銀座線が通る。
バイクに乗り走り出す彼らを写すカメラ。カメラが引くと勾配屋根の当時の渋谷駅とハチ公前広場の様子が大写しになる。
当時渋谷駅を包み込むように建っていた「東急百貨店東横店」は現在姿を消し、まったく違う風景になっているが、2031年に向けてこの場所に建設中の「渋谷スクランブルスクエア中央棟・西棟」はどちらも10階前後の建物なので、また元のような風景に戻るのかもしれない。

野呂圭介が宍戸錠たちのグループにヤキを入れられるシーンは「狂熱の季節」(1960)でも登場した稲荷橋小路で撮影されている。小林旭を止めようとした左幸子が振り払われて倒れるのが「田中稲荷神社」の階段だ。
左幸子が小林旭に就職するよう勧めるのは銀座線車庫の横の坂。現在は「マークシティ」がそびえ、銀座線車庫はその中に取り込まれている。
スリをはたらいた野呂圭介を小林旭が殴るシーンでは「東急文化会館」が登場する。「東急文化会館」の屋上には「五島プラネタリウム」のドームのほか遊具もあり家族連れで賑わっている。野呂圭介はここでスリをはたらいたところを警察に見つかって追われる。これを見た小林旭は野呂圭介を「東急文化会館」の階段下で追い詰めて殴る。その横を銀座線が走りぬけていく。この一連のシーンは完成間もない「東急文化会館」の空間を縦横に駆使したダイナミックなシーンとなっている。
東京ジョー(1949)
―センター街誕生前の宇田川町を歩くハンフリー・ボガート―
主なロケ地: 道玄坂 / 渋谷駅前交差点
戦後間もなく東京に帰ってきた元米軍パイロット(ハンフリー・ボガート)が自らの身を犠牲にして最愛の女性を救うサスペンス。
東京に到着したボガートが懐かしそうに街を歩くシーンは道玄坂で撮影されている。背景の看板に「道玄坂百貨街」の文字が見える。そして彼は円タクを止め、自分の店がある銀座に向かう。彼が円タクを止めるのは現在の「SHIBUYA109」前。彼を乗せた円タクは渋谷駅前交差点へ向かい、交差点を神宮通りへ左折する。


センター街を中心とする一帯は1955年頃の戦災復興土地区画整理事業で大きく改造された。現在センター街の中心に延びるまっすぐな道路やそれを中心にした格子状の道路網がつくられたのはその時であり、それ以前は幅3mほどの不規則な道沿いにトタン屋根や瓦屋根の木造家屋が広がる一帯だった。当然現在センター街の入口になっているゲートもまだない。この場所は渋谷の中でも戦災復興土地区画整理事業で最も大きく街区が変貌した場所といえる。
「東京ジョー」はそのような現在の街区がつくられる以前の街並みがみられる貴重な一本だ。
建物だけでなく道まで変わっているので、映像を見ても映っているのがどこの街なのかほとんどわからない。しかし区画整理では建物を極力元の位置に建てるよう配慮されたので、「パーラー(西村フルーツパーラー)」「大盛堂書店」など現存する店舗の看板もあり、それを手がかりに渋谷だと気づくのが楽しい。

なお、ボガードが街を歩くシーンは、1949年に来日した撮影隊が撮影した映像をスクリーンに投射し、その前で俳優が演じるいわゆる「スクリーン・プロセス」で撮影されたもので、ボガード自身は来日していない(「東京ジョーとはどんな映画か」新映画1949年2月号)。円タクを拾う後ろ姿も撮影スタッフの一人だろう。
恋文(1953)
―恋人の姿を求め「三角地帯」の迷路をさまよう森雅之―
主なロケ地:
渋谷駅前 / ハチ公像 / 東急本店通り / 恋文横丁 / SHIBUYA109付近 / 井の頭線
戦争に引き裂かれた恋人たち(森雅之、久我美子)が残酷な運命を乗り越え再び結ばれる。
冒頭、渋谷駅前が映る。正面に「三千里」の看板、右奥には「渋谷東映」の看板。「三千里薬品」の前身「三千里食堂」と明治通り沿いにあった「渋谷東映劇場」(現「渋谷東映プラザビル」)だ。
そして森雅之が旧友(宇野重吉)と出会うのはハチ公像前。背後には当時の勾配屋根の渋谷駅が映る。二人は東急本店通りを歩き喫茶店「ヒサモト」に入る。この「ヒサモト」は現「SHIBUYA10」の向かいにあった実在の店舗で、店内の様子まで映っている。
森雅之はすずらん横丁にある宇野重吉の代筆屋に身を寄せることになるが、このすずらん横丁こそが丹羽文雄がモデルにして原作を書いた場所である。木造平屋のお好み焼き屋や飲み屋、ラジオ店や喫茶店が軒を並べるマーケットだ。この一帯は現在「ヤマダデンキ」になっている。こうした個人店主が軒を並べて交流しあいながら商売を続けるヒューマンスケールな空間が渋谷にあったことはもはや想像もつかない。

森雅之の弟洋(道三重三)は代筆屋の近くの店の軒下を借りて古本屋を始めるが、この一帯は現在「SHIBUYA109」になった場所。かつて「SHIBUYA109」の敷地を横断して文化村通りと道玄坂をつないでいた道路沿いだ。古本屋の隣には「SHIBUYA109」の再開発に参加せずしばらく木造平屋の建物が残っていた飲み屋「玉久」(現「玉久ビル」)も映っている。
代筆屋に現れた久我美子を森雅之が追うシーンがこの映画のクライマックス。
すずらん通りから文化村通りへ出た森は文化村通りを渋谷駅方面に向かうと、前述の「SHIBUYA109」の敷地を横断していた道路を進む。シーンが変わると森が横断歩道を渡る。ここは渋谷駅前交差点で、奥に見える「三丸」という店は現「SHIBUYA109」の先端の位置にあった衣料店で現在も「SHIBUYA109」で店舗を経営している。
道路を渡った森は「大林百貨店」(現在「ロクシタン」がある「渋谷駅前ビル」)前を抜け一旦ハチ公広場に出て、「渋谷マークシティ」あたりにあった井の頭線に向かう階段を上り、ホームへ入ってようやく久我と再会する。
この現在の「SHIBUYA109」、「ヤマダデンキ」、「プライム」を含む、道玄坂、文化村通り、道玄坂小路で囲まれた部分は「三角地帯」と呼ばれた。丹羽文雄の原作にはこうある。
「大映通りと、東宝通りにはさまった三角地帯がある。(中略)礼吉は、三角地帯のある小路にはいった。まよいこんだと言った方が、適切である。両側には、種々雑多な店が、ひきめきあっていた。
丹羽文雄「恋文」より
美容院、飲み屋、すし屋、スポーツ店、鶏肉鶏卵、かりん糖、診療と調剤、すし屋とスポーツ店のあいだに、内科外科一般の医院もまじっていた、(中略)人々は、小路をひっきりなしにとおった。小路の出口には、リヤカーが仰向けに置かれている。オートバイが、憩んでいる。小型自動車がある。各商店は、二階以上を共通の板塀で囲っていた。その上に、遠く渋谷駅を睥睨して、ビタミルク、バターキャラメルの看板が立っていた。
いずれも初めは、仮住居のつもりだったろうが、永年すみなれて、その折々に修繕を加え、いまでは本建築同様な、深い馴染をいだいているにちがいなかった。」
文中の大映通りは文化村通り、東宝通りは道玄坂のことである。

森がハチ公像の前に立つシーンで背後に「山一證券」の看板がかかるビルが見えるが、このビルは1949年駅前広場の造成に伴い現ハチ公前広場の中に移動させられた旧「三菱銀行ビル」。その後おそらく区画整理の施行とともに1955年頃には取り壊され、この場所にあったのは短期間だっため、映像が残っているのは貴重といえる。
特別機動捜査隊 #1 最後の犯人を追え(1961)
―土ぼこり舞う公園通りで犯人を追跡する波島進―
主なロケ地: 公園通り / 東急文化会館 / 宮下公園
3人組の連続強盗犯を追う警視庁特別機動捜査隊立石主任(波島進)たちの活躍。
犯人達が第2の犯行現場に向かう車に乗り込むのは渋谷駅東口駅前の「東急文化会館」の前だ。
犯行現場は不動産屋。ここで犯人は社員を一人射殺するのだが、現場は実在した「東日開発商事」という会社。現在公園通りの「エクセルシオール・カフェ」がある場所だ。ここに到着して逃走するまでのシーンで、現在の「渋谷PARCO」周辺の様子が存分に映されている。

現在の「渋谷PARCO」の位置にあった「大成建設渋谷アパート」、斜向かいの現在「都営神南1丁目アパート」になっている「東京都渋谷税務事務所」、現「アトラス渋谷公園通り」の「東京都住宅公社宇田川町ビル」、現「ヒューリック渋谷公園通りビル」の「仁愛病院」、1966年改築される前の「東京山手教会」が映り込んでいる。「山手教会」は現在のようなモダンな様式ではなく、伝統的な三角屋根の教会である。

建物がすべて建て替わっており、道路も未舗装(工事中?)のため、一見すると公園通りとは気づかないほど現在とは違う街並みだ。ここまで渋谷を写しておきながらクライマックスのラストシーンが五反田駅前になってしまうのが惜しい。ぜひ渋谷駅周辺での捕物が見たかった。
純愛物語(1957)
―雨にぬかるむ宮下公園で自らの運命に直面する中原ひとみ―
主なロケ地: 宮下公園 / 六本木通り
スリの少女宮内ミツ子(中原ひとみ)とチンピラの早川貫太郎(江原真二郎)の悲恋を描く。
保護施設の小島教官(楠田薫)が体調の悪い中原ひとみを病院に連れていくシーンで、バスから降りた二人の背後に広い砂利道が延びている。この場所はラストの中原ひとみを失った江原真二郎が呆然と街をさまようシーンでも登場する。
この砂利道は建設中の六本木通りだ。六本木通りは当時「青山学院」の手前まで用地が確保され更地になっただけの状態で、首都高速3号線の開通はおろか舗装もされていない状態だった。都心でこれほど広大な土地を買収し幹線道路を建設していく、高度経済成長期の都市開発の力強さをうかがい知れる光景だ。

二人は病院を出た後公園のベンチに座る。そして教官が席を外した隙に中原は姿を消してしまう。
この公園は1966年に立体駐車場の上の“屋上公園”となり、2020年には商業施設と一体化した“立体都市公園”に変貌した「宮下公園」(現「MIYASHITA PARK」)だ。
公園にはブランコがあり、球技ができるくらいのグラウンドがある。そして雨が降った後なのだろう、土のグラウンドはぐちゃぐちゃにぬかるんでいる。この少し広めの素朴な公園が60数年間の間に2回、生まれ変わっていったのだ。

時々の都市問題を解決するため公園の概念が拡大されていったが、「宮下公園」は常にその最先端の事例として生まれ変わり続けてきた。
特別機動捜査隊 #129 非行少年(1964)
―オリンピックに向け変貌する神南で殺人犯を追う波島進―
主なロケ地:
センター街 / 百軒店 / 玉川通り / 渋谷駅東口 / 岸記念体育館 / 渋谷消防署 / 国立代々木競技場
高速道路の工事現場で発生した殺人事件。警視庁特別機動捜査隊立石主任(波島進)たちは手がかりをにぎる非行少年たちを追う。
不良少年から事情を聴取するため刑事たちが街を歩き回る。彼らの背景には1964年の渋谷の町並みが広がる。駅前交差点、現在の「QFRONT」や「渋谷ロフト」の前、センター街、「西武渋谷店B館」の場所にあったゲームセンター前、また「高速3号線工事中」の看板が並ぶ玉川通りを歩く。
しかし少年たちがいたのは百軒店だった。彼らは映画館からストリップ劇場に変わった「テアトルSS」から出てきたところを補導される。
ラスト、真犯人は渋谷駅前のパチンコ屋から都電が走る東口駅前へ逃亡し、さらに車で神南方面へ向かう。
神南ではその年の秋のオリンピック開催に向け大々的に工事が進行中だ。「岸記念体育館」は外装工事中、「国立代々木競技場」は骨組みができあがったばかりである。独特の構造をもつ「国立代々木競技場」は骨組みの時点でかなり変わった造形だ。
犯人は「国立代々木競技場」の建設現場に逃げ込み、刑事たちと逃走劇を繰り広げる。建設中の「国立代々木競技場」付近にここまで立ち入っての撮影は珍しい。独特の造形に早くから目をつけたスタッフ、現場内での撮影を許可した建設会社に感謝したい。

なおこのドラマで建設中だった「岸記念体育館」は2019年に解体が始まり現在は「代々木公園 BE STAGE」(https://tokyu.yoyogi-cpark.com/)が完成している。都市のサイクルの速さに驚くべきか、1964年ははるか昔に過ぎ去ったと感じるべきか。

泥だらけの青春(1954)
―巨大ビル東急会館建設の下で繰り広げられる三國連太郎たちの困窮した生活―
主なロケ地: 東急百貨店東横店西館 / 大和田町
弱小劇団員から大スターになった男(三國連太郎)の栄光と挫折を描く。
劇団を脱退し、エキストラや映画のフィルムの配達をして糊口をしのいでいる三國連太郎、山内明、乙羽信子の3人。
ある日腹をすかせた三國が乙羽の父親が経営する飲み屋にやってきて昼飯をせびる。
菜々子の父親の店があるのは当時でいう大和田町。現在の「三菱UFJ銀行」と井の頭線の間のあたりだ。現在は鉄筋コンクリートのビルが建ち並んでいるが当時は木造の飲み屋街が密集する場所だった。この近くには大和田胡同(おおわだフートン)という、戦後大陸からの引揚者たちが出した店が集まった「柄はけっしてよくなく、昔の上海の場末みたいなところで、頽廃の気にみちみちている」(奥野信太郎「東京味覚地図」1958)場所があった。空腹と場末の飲み屋街が三人の劇団員が暮らす貧しい都市生活を描写している。

一方この映画ではこの木造飲み屋街の屋根越しに「東急会館」(のちの「東急百貨店東横店西館」)が建設中である。足場に囲まれた驚くほど巨大に見える「東急会館」からぬっと銀座線が現れるシーンは圧巻だ。
「東急会館」は東京急行電鉄の創立30周年記念事業として、戦時中工事が中断したままになっていた「玉電ビル」を増築した建物で、地上11階地下2階の百貨店、駅施設、ホールを備えた一大都市開発プロジェクトであり、1954 (昭和29) 年11月に完成した。
そのような文化的生活の牙城が生活に困窮する劇団員を見下ろすようにそびえるシーンだ。

この映画では「東急会館」を、貧しさにあえぐ三國たち劇団員と対照するものの象徴のように扱っており、後半三國が大スターとなり昔の仲間を見放すシーンの後では、山内と乙羽が、手の届かない場所へ行ってしまった三國を象徴するかのように遠方にそびえる「東急会館」を猿楽橋から眺めている。
俺は情婦(おんな)を殺す(1958)
―長門裕之と裏切り者の銀座線上の決闘―
主なロケ地: 銀座線 / 東急文化会館 / 渋谷2丁目
刑務所から出所した男(長門裕之)が自分を裏切った親分や愛人に復讐しようとする。だがそれは仲間の策略だった。
オープニングは銀座線車両の運転席から見た映像で始まる。トンネルを抜けた車両は、「東急文化会館」の横の高架を抜け、「東急百貨店」の側面に開いた開口部へ入っていく。カメラが切り替わると銀座線渋谷駅のホームに入線する車両。ドアが開いて大勢の乗客が吐き出されてくる。その中に主人公の長門裕之がいる。彼は渋谷駅と「東急文化会館」の連絡橋の階段を下りるとハチ公口へ出る。ここでハチ公口の俯瞰が映る。

現在では渋谷駅手前の銀座線は屋根で覆われているが、2020年の渋谷駅移設前は車両はトンネルを出た後建物の間を高架ですり抜け、「東急百貨店」の側面に入っていく構造だった。地下鉄が急に地上に出て、ビルの3階に入っていくという話は渋谷の地形を語る時によく使われたエピソードだが、現在では急に地上に出た感覚もないのではないだろうか。
オープニングの映像はこの頃の銀座線渋谷駅の構造の記録映像とも言える。
この映画では銀座線が主な舞台の一つであり、ラストに仲間である弘松三郎の裏切りを知った長門が彼を追い詰めるシーンは銀座線の線路上で撮影されている。長門の追求を逃れようとトンネル内に逃げ込んでいった弘松は電気が流れるレールに触れ感電して死ぬ。

クレジットに記載はないが、運転席にカメラを配置しての撮影、線路上での撮影などかなり営団地下鉄の協力があったのではないか。ビルの谷間の、普段は誰も降り立つことのできないこの場所にカメラを据えたことでこの映画は他の映画では見られない光景を見せてくれる。
長門と親しい南風夕子を警察が追跡するシーンでは「東急文化会館」の屋上が、ラストの長門と弘松の追跡劇では渋谷2丁目の青山通りと銀座線の間、現在「渋谷アクシュ」が建っているあたりが映っている。
おわりに
過去の街並みを知る手がかりとして古地図や古写真があるが、地図から個々の建物の外観をうかがい知ることは難しく、また古写真も当時の「名所」に偏りがちで、ありふれた市街の光景までを捉えたものは少ない。
渋谷についてみても、かつて一般的な眺めであったマーケットや、ジャズ喫茶、渋谷川などはあまりにも日常の風景であったため情報が少ないのが実情だ。
かつて旧作の映画やドラマを鑑賞するには相応の手間を要したが、サブスクリプションの普及により、今では手軽に過去の映像に触れられるようになった。劇中の背景に図らずも映り込んだ風景こそ、当時の都市の姿を伝える貴重な情報源として、今後さらに評価されるべきではないだろうか。
過去の日本映画には日本の各地にロケをした作品も多い。これをお読みの方も、サブスクで過去の日本映画を見てみれば、地元の思わぬ風景を見つけ出すことができるかもしれない。【吉】

