映画の感想文「秋立ちぬ」

「秋立ちぬ」(成瀬巳喜男監督 / 1960年 / 東宝)。2度目の鑑賞。
主演の大沢健三郎は、成瀬監督の「女の座」「妻として女として」にも出演している子役だ。

父を亡くした小学校六年生の秀男(大沢健三郎)は、銀座で八百屋を営むおじ常吉(藤原釜足)とさかえ(賀原夏子)夫婦の家に世話になるため母茂子(乙羽信子)と共に長野から上京したが、乙羽信子大沢健三郎藤原釜足の家にひとり預けたまま近所の旅館へ女中として勤めに出る。さらに乙羽信子は常連客の富岡(加東大介)に見初められ駆け落ちしてしまう。
母に置き去りにされ、近所の子どもたちと馴染めない寂しい大沢健三郎は、乙羽信子が働く旅館「三島」のちょっとわがままなひとり娘の小学四年生の順子(一木双葉)になぜか懐かれる。

秀男(大沢健三郎)と順子(一木双葉)が松坂屋銀座店の屋上から見えた海に向かうシーン。

陽が傾く中、幼い二人がどんどん人気のない、自宅から離れた方向へ歩いていってしまうことに見ているこちらの不安感が増幅する。

帰り道がわからなくなった二人が保護されたのは江東区の東雲で、銀座の自宅とはたった4kmほどしか離れていないが、当時道路もないような辺境の場所から、地方から来たばかりの小学6年生と小学4年生が日没までに無事歩いて帰れるかどうかを考えると胸騒ぎが収まらない。
これは私だけの感情なのか、観客全員が感じるよう計算された感情なのか。

これはよく見る「知らない土地で帰り方がわからない夢」で感じるのと同質の不安感であることに今回気がついた。

腹違いの兄弟との気まずい出会いや、突然母や友人がいなくなる設定など、全体に不安に胸をかきたてられる映画でかなり気に入っている。
昭和中期の東京の風景に加え、達者な子役と昭和の名優たちの演技を堪能できる一作。【福】

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