斎村和彦監督、1968年。
ざっくりと説明するならば「純情で可愛い女の子が傷害事件に巻き込まれ強姦されストリッパーになってテレビスターになる」というお話だが、もうちょっと詳しく説明するとこんな感じ。
どうですか皆さん。ストーリーがわかりましたか。映画を見終わってこれを書いた私は何が何だかよくわかりませんでしたよ。
一番印象深かったのが、強姦されてよろよろと帰ってきた娘のきっこに母親の桜むつ子が言う台詞。
ストーリーの整理が悪いというのか、なにかよくわからないうちに終わってしまう困った作品。おそらく当時の新宿を跋扈する若者達の風俗を突き放した目でクールに描こうとするみたいな意図があったのだろうが、そこがまるっきりうまくいっていない。
ゴーゴーバー、シンナー、ハイミナール、フーテン…といった当時流行のアイテムを散りばめて必死に若者の生態を描こうとしているのだが、なぜかストリップ劇場やヤクザが登場するシーンの方がリアルな演歌テイストのおっさん映画。
時々ストーリーを映像で描くのを端折ってナレーション処理してしまう荒っぽさや、割とクライマックス的なシーンに津山洋子・大木英夫の「新宿そだち」がかかってしまう無邪気さ、新宿の街をテキトーに描写したストーリーとはあまり関係ない雑な締めのナレーションに驚く。
まあ、確かに新宿育ちの女の子の話なんだけど、エンディングにも「新宿そだち」がダメ押しのように響き渡るのには閉口した。同じ頃に作られた新宿映画の傑作「新宿泥棒日記」(1969年)や「書を捨てよ町へ出よう」(1971年)のような映画を期待して見ると相当ガッカリすると思う。
松岡きっこが働いているトンカツ屋のおやじが寅さんのおいちゃん役でおなじみの森川信。その後、きっこのパトロン役でタコ社長の太宰久雄も出てくる。森川信のトンカツ屋の客の役でリーガル天才・秀才、ゴーゴーバーの店員役に晴乃ピーチク・パーチク。冒頭のクレジットロールには一条さゆりの名前があったので、ストリップ劇場の踊り子の中にいたのだろう。
映画.comとかMovie Walkerとかこの映画を紹介している映画系サイトには「レオナルド三宅」役が伊丹十三と記述されているのだが、どう見ても伊丹十三ではない(おそらく鈴木やすし)。
なお、松岡きっこはストリッパー役だがステージで裸は見せない。太田博之が描く絵のヌードモデルになるシーンで一瞬だけ膝を抱えるポーズがあるだけ。おっぱいなし。【み】