「新宿の肌」斎村和彦監督、1968年。
ざっくりと説明するならば「純情で可愛い女の子が傷害事件に巻き込まれ強姦されストリッパーになってテレビスターになる」というお話だが、もうちょっと詳しく説明するとこんな感じ。
松岡きっこは新宿のトンカツ屋で働く純情な女の子。きっこの母の桜むつ子はストリップ劇場の売店に勤めている。きっこはここいらでちょっと顔が利くお姐さんの中原早苗に可愛がられ、連れていってもらったゴーゴーバーでフーテン青年やヌードカメラマンと知り合ったりする。ストリップ劇場の無断入場でモメたヤクザの傷害事件に巻き込まれた上に新聞に何故かストリッパーとして名前と顔写真が出てしまい、劇場の客は「新聞に出ていた女を出せ」「きっこを出せ」と大騒ぎ。トンカツ屋にも居づらくなってやめてしまう。ゴーゴーバーの店内でフーテンどもに輪姦されそうになったきっこを別のフーテンの長沢純が助けるのだが、助けた直後に結局自分できっこを強姦してしまう。ストリップ劇場の支配人の十朱幸雄がこの新聞沙汰を利用してきっこで稼ごうとスカウトに来る。きっこは拒否するが支度金に目がくらんだ母親に理不尽な説教をされた挙句にストリッパーになってしまう。ストリッパーになったきっこは大人気。毎晩裕福なパトロンに夜の街に連れ出されるきっこ。ついにはテレビからお呼びがかかり、テレビ番組「殺しのナイトキャップ」でダンスを披露することに。ただしストリップではなく男性1+女性2のセクシーなダンスショー的なもの。「よかったね」「支配人さんのおかげで」とその様子をきっこの自宅のテレビで見守る桜むつ子と十朱幸雄。新宿の雑踏の中、にっこり笑って恋人の太田博之と腕を組んで歩いていくきっこ。二人の後ろ姿に重ねてエンドマーク。
どうですか皆さん。ストーリーがわかりましたか。映画を見終わってこれを書いた私は何が何だかよくわかりませんでしたよ。
一番印象深かったのが、強姦されてよろよろと帰ってきた娘のきっこに母親の桜むつ子が言う台詞。
その様子じゃ男となんかあったんだろ。黙ってたってね、母さんには何をしてきたんだかバッチリとわかっちまうんだから。さあ、立ってみな。お立ちったら。(きっこのスカートをめくって)男の匂いでムカムカすらぁ。
この荒ぶりっぷり。一体どんな過去があったんだ母親。
ストーリーの整理が悪いというのか、なにかよくわからないうちに終わってしまう困った作品。おそらく当時の新宿を跋扈する若者達の風俗を突き放した目でクールに描こうとするみたいな意図があったのだろうが、そこがまるっきりうまくいっていない。
ゴーゴーバー、シンナー、ハイミナール、フーテン…といった当時流行のアイテムを散りばめて必死に若者の生態を描こうとしているのだが、なぜかストリップ劇場やヤクザが登場するシーンの方がリアルな演歌テイストのおっさん映画。
時々ストーリーを映像で描くのを端折ってナレーション処理してしまう荒っぽさや、割とクライマックス的なシーンに津山洋子・大木英夫の「新宿そだち」がかかってしまう無邪気さ、新宿の街をテキトーに描写したストーリーとはあまり関係ない雑な締めのナレーションに驚く。
まあ、確かに新宿育ちの女の子の話なんだけど、エンディングにも「新宿そだち」がダメ押しのように響き渡るのには閉口した。同じ頃に作られた新宿映画の傑作「新宿泥棒日記」(1969年)や「書を捨てよ町へ出よう」(1971年)のような映画を期待して見ると相当ガッカリすると思う。
松岡きっこが働いているトンカツ屋のおやじが寅さんのおいちゃん役でおなじみの森川信。その後、きっこのパトロン役でタコ社長の太宰久雄も出てくる。森川信のトンカツ屋の客の役でリーガル天才・秀才、ゴーゴーバーの店員役に晴乃ピーチク・パーチク。冒頭のクレジットロールには一条さゆりの名前があったので、ストリップ劇場の踊り子の中にいたのだろう。
映画.comとかMovie Walkerとかこの映画を紹介している映画系サイトには「レオナルド三宅」役が伊丹十三と記述されているのだが、どう見ても伊丹十三ではない(おそらく鈴木やすし)。
なお、松岡きっこはストリッパー役だがステージで裸は見せない。太田博之が描く絵のヌードモデルになるシーンで一瞬だけ裸で膝を抱えるポーズがあるだけ。しかしおっぱいなし。【み】