映画の感想文「ゴジラ対ヘドラ」

ゴジラ対ヘドラ」(1971年/坂野義光)といえば、サイケなゴーゴーシーンやシュールな主題歌でカルト的な人気を博している作品。
折からの我々の60sブームの一環として、あのゴーゴーシーンとサイケなコラージュがまた見たくなって久々に鑑賞してみた(60年代じゃなくて70年代だけど)。
以前見た時は流し見だったのか途中で寝てしまったのか、とにかくアテにならない私の記憶。
ゴーゴー喫茶やサイケなコラージュは覚えていたのだけれど、暑苦しくリーダーシップをとっていた若者は柴俊夫だったし(当時の芸名は柴本俊夫)、ゴジラが空を飛んだのには驚いた。どうして覚えていなかったのだろう。珍シーンが目白押しなので、空飛ぶゴジラなんてたいして気にならなかったのかもしれない。

作品自体は良い意味でも悪い意味でもボンクラ。
「ヘドロに汚染された駿河湾で発見された巨大なオタマジャクシが成長して公害怪獣になりオタマの発見者の博士一家と自衛隊とゴジラが力を合わせて戦う」というお話なのだが、予算不足だったのか脚本に口を出す関係者が多すぎたか、ストーリーに穴が多い。

ヘドラの弱点はヘドニウムなのか火なのか酸素なのか電流なのか。
柴俊夫主催の野原でのゴーゴーフェスティバルを陰から見ている老人達は何者なのか、何を表現しているのか。
ゴジラがヘドラの腹に手を突っ込んで取り出した玉は何か。取り出しても何ともなかったのはなぜか。
ゴジラが駿河湾にやってきたのはなぜか。
駿河湾の近くに家族3人でのんびり暮らしている海洋生物学者(山内明)の単独の研究で、ヘドラに対する攻略のすべてが決定される不思議(明の電話1本で自衛隊が動く!)。

一緒に映画を見た相方の吉野は、Twitterで「怪獣の対決を見せとけば子供は喜ぶだろうというナメた態度に当時の子供である私は怒る」と憤っていた。
ただし、ゴーゴー喫茶で生演奏で踊る若者達であるとか、店内のテーブルの上に立って踊るボディペインティングの全裸の女性(実際はペイントされた全身タイツ)であるとか、公害をモチーフとしたコラージュ映像など、時代性を色濃く反映した見どころも多い。
あのゴジラがかなわないくらい強すぎるヘドラというパワーバランスの歪みが、このけばけばしいサイケな時代に通底する暗さをじんわり感じさせる。【み】

脚本に口を出す関係者が多すぎたか話がいろいろ破綻している。弱点はヘドニウムなのか火なのか酸素なのか電流なのか。ゴーゴーフェスティバルを影で見ている老人達はなにか。ゴジラがヘドラから取り出す玉は何か。
取り出しても何ともなかったのはなぜか。ゴジラが駿河湾にやってきたのはなぜか。怪獣の対決を見せとけば子供は喜ぶだろうというナメた態度に当時の子供である私は怒る。
まあ時代性を色濃く反映した映画という点ではおもしろい。【吉】

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