「銀嶺の王者」(1960/松竹/番匠義彰監督)。
冬季オリンピック金メダリストのトニー・ザイラー主演のスキー映画。
トニー・シュナイダー(トニー・ザイラー)はオリンピックで金メダルを期待されるオーストリアのスキー選手。雪崩で6名の仲間を失ったことで傷つき、船で日本へ旅立つ。船で知り合った日本人小谷一郎(南原宏治)に日本観光をガイドしてもらい、その後、南原宏治の故郷の信州に行き、身分を隠し偽名で地元のスキー・パトロールの仕事に就く。
ドイツ語が話せるバイオリンが得意な少女青木春江(鰐淵晴子)、鰐淵晴子が好きな大学生(石濱朗)、南原宏治の妹で小学校教師の八重子(富士栄清子)、富士栄清子の教え子の少年善吉(馬場勤)や地元の人たちとの触れ合いの中でトニー・ザイラーは元気を取り戻し、オリンピックで金メダルを取るため母国へ帰っていく。
ハンサムで礼儀正しくスキーが上手なトニー・ザイラーは、富士栄清子、鰐淵晴子、スキーに来た女子大生たち(この中にコメディリリーフ的な役回りの芳村真理がいる)らにモテモテだ。
トニー・ザイラーの美しいスキーシーンあり、鰐淵晴子の見事なバイオリン演奏シーンあり、恋あり友情あり、トニー・ザイラーがリフトの上で突然「木曽節」を朗々と歌うシーンあり、遭難した石濱朗をトニー・ザイラーが救助する劇的なシーンありと盛りだくさんな山岳映画である。
なお、ヒロインの八重子役は「有馬稲子の代役に抜擢された城山順子さんが、蔵王ロケで左足骨折という思わぬ災厄に見舞われたことはご承知のことでしようが、その城山さんにかわつて新人富士栄清子(ふじえ・きよこ)さんがデヴューすることになりました」(1960「映画情報」5月号より)という事情があったらしい。
ホンモノの金メダリストトニー・ザイラーの華麗なるスキーシーンはもちろん素晴らしかったのだが、何より鰐淵晴子のバイオリン演奏シーンにビックリした。「天才少女」と呼ばれていたのは知っていたが演奏しているところは初めて見た。
鰐淵晴子がバイオリンを披露するのは、村のクリスマスパーティ。
村の女の子がパーティの余興に「さくらさくら」とか「きよしこの夜」みたいな何かちょっとした曲を弾くのかと思ったら、これがまあとんでもない超絶技巧! スピッカート速弾きみたいな、テクニックで驚かせる系の曲を披露する。いや、これはもう女優なんかやっている場合じゃないのでは?
ちなみに、鰐淵晴子演じる春江はこの映画の舞台である信州の雪深い村の娘(お父さんは三井弘次)。
映画の公式ページによれば「ドイツ語を勉強しウィーンに音楽を学びに行く希望をもった可愛い女の子」という設定で、今は東京のスキー用品店で働いている。トニー・ザイラーとは流暢なドイツ語で会話ができる(鰐淵晴子の実際のお母さんはオーストリア人)。
語学の勉強はラジオやテキストで自習できるかもしれないが、さすがにバイオリンはそうもいくまい。あの小さな村に天才少女を育てられるバイオリン教師がいたのだろうか。
天才少女の超絶技巧をどうしても映画に取り入れたかったのだろう。それはわかる。だがちょっとやりすぎ。無理があると思う。
しかも、宴会では日本舞踊まで披露する鰐淵晴子。ドイツ語、バイオリン、日舞、そしてとてつもない美少女。スキー用品店でコツコツ働かなくてもウィーン留学の資金を稼ぐ方法はいくらでもあるような気がするのだがどうか。
「女2000人 : お国自慢」(1952) という本に、「鰐淵晴子はまだ六才の可憐な少女、ヴァイオリンの天才」とある。また、同じ年に刊行された「音楽年鑑 昭和28年版」には、6月にバイオリニストの父鰐淵賢舟の独奏会に「鰐淵晴子六才、賛助出演」と記録されている。
その一方、同じ年の「婦人生活」12月号には、大きなリボンをつけた鰐淵晴子が醤油瓶を抱えてにっこりするヤマサ醤油の広告が、翌年刊行の「コニフレックスの使い方」には晴着姿の鰐淵晴子が小さな獅子舞をかつぐさくらフィルムの広告が掲載されている。
この「銀嶺の王者」の4年前に刊行された「社会心理照魔鏡 1956年版」(カッパ・ブックス) という本に「豆スター一覧」という記事が載っていた。
この一覧での鰐淵晴子の肩書は「バイオリニスト」だ。
鰐淵晴子 | バイオリニスト・小四 |
岩田佐智子 | ビクター・小五 |
近藤圭子 | キング・中一 |
森繁タツル | ラジオスター・小五 |
小畑やすし | 映画スター・小四 ※江利チエミ主演の「サザエさんシリーズ」の初代カツオ役 |
白鳥みずえ | テイチク・小五 |
小鳩くるみ | ビクター・小二 ※現・鷲津名都江/「おかあさんといっしょ」10代目歌のおねえさん |
松島トモ子 | 大映・小四 ※ライオンとヒョウに襲われる/ミネラル麦茶 |
安田祥子 | コロムビア・中二 |
上田みゆき | ラジオスター・小五 ※声優/ささきいさお夫人 |
古賀さと子 | ビクター・中三 |
名古屋ちどり | キング・小一 |
川田美智子 | コロムビア・小四 ※童謡歌手川田三姉妹の三女 |
渡辺典子 | キング・小五 |
伴久美子 | コロムビア・中一 |
刈谷ヒデ子 | キング・小五 |
設楽幸嗣 | 映画スター・小五 |
このリストには載っていなかったが、この年、安田祥子の妹の由紀さおりは小三、天才子役二木てるみは小二と思われる。1956年はこどもタレントブームだったことがわかる。
といっても、その隣には「十代歌手」の一覧が載っており、そこには美空ひばり(十八歳)、雪村いずみ(十八歳)、江利チエミ(十九歳)、島倉千代子(十八歳)といった幼い頃から芸能界で活躍していた名前が並んでいる。だからこの10年前もこども歌手・こどもタレントブームだった。
というか、いつの時代も天才子役や人気童謡歌手はいて、今も昔もずっとこどもタレントブームは続いているといえる。
1950年代を、天才こどもバイオリニストと美少女子役タレントの二足のわらじで活躍していた鰐淵晴子。確かに恐ろしいほどの美少女ではあるのだが、バイオリンの技術だって相当なものだと思う。
しかし、その後、結婚やら離婚やらアメリカでヌード撮影やら再婚やらあれこれあって、結局完全に女優に転向してしまったようだ。どうしてバイオリンの道を捨ててしまったのか不思議である。惜しい。
2023年の「読売新聞」のインタビュー記事によれば、お母さんがかつて女優志望だったせいか娘の芸能活動に積極的だった模様。また、幼い頃はかなりスパルタ方式でバイオリンを仕込まれていたらしい。
日々激しいレッスンに追われるバイオリニストよりも、それほど厳しい訓練を求められない自由な女優やモデルの道を選んだのかもしれない。
「国会図書館デジタルコレクション」で「トニー・ザイラー」を検索すると、この時期、二枚目ハリウッドスターもかくやというトニーブームが巻き起こっていたようだ。
トニー・ザイラーが3つの金メダルを獲得した1956年の冬季オリンピックは、猪谷千春が銀メダルに輝き日本人初のメダリストとなった。その影響もあって、トニー・ザイラーへの日本人の注目も高まったのだと思われる。
トニー・ザイラーは素晴らしくハンサムでスマートだし、スキーをしている姿も実にカッコいい。男子も女子も憧れちゃうよね。
1957年刊行の「世界の名選手 : スポーツ物語 」(日本児童文庫 51) には、「つきだした三本の指―アルペン・スキーで三つの金メダルをかくとくした、トニー・ザイラー(オーストリア)」というお話が載っている。
お父さんもお母さんも姉2人もスキー選手だったとか、何もせずとも成績優秀な子だったので勉強をなまけがちだったとか、父と共にガラスの細工仕事をしていたとか、母国の名選手クリスチャン・プラウダに教えを受けたとか、幼い頃は一番小さかったのに15歳頃から急に背が伸びて181センチになったとか、ドイツ語では同じ名前の父子の場合は父に「ゼニョール」子に「ユニオール」をつけるとか、トニー豆知識満載。「国会図書館デジタルコレクション」で読めるのでご興味のある向きは是非どうぞ。
なお、トニー・ザイラーの前々作「黒い稲妻」では、「アコーディオンをひきながら自由自在に滑りまくるスキーの妙技」(1959「国連評論」より)を披露するシーンがあるという。凄いぞトニー・ザイラー。是非見てみたい!【福】