「とと姉ちゃん」常子、妹のために走る(第2週)感想。

「とと姉ちゃん」第2週「常子、妹のために走る」(2016年4月11日〜4月16日/NHK)。

今週も常子が暮らす浜松は空が広々として風光明媚。宇多田ヒカルの気持ちの良い主題歌と共に朝のひとときにふさわしい爽やかな風景だ。成長した常子と鞠子が通う女学校の素朴な教室も美しいし、鞠子と美子が手をつないで歩くシーンは可愛らしくて心が和む。

それにしても主人公ってどうして皆遅刻しそうになったり遅刻したりするのだろう。毎朝遅刻して叱られる子やうっかり遅刻しそうになった子を自分の席で待ち構えて「ねえどうしたの? 寝坊?」などと眉をひそめる朝ドラの主人公にはなかなかお目にかかれない。

夫を亡くして親族からの援助もなく女手一つで幼い三人の子を育てる苦労も感じさせず、ますますしっとりと美貌が冴え渡る母、木村多江。社長の田山涼成の計らいで、亡き父が勤めていた会社で女工として働くようになる。ウィキペディアで確認したところ「遠州浜松染工」という社名らしい。てっきり紡績工場だと思い込んで見ていたが本当は染物工場であった。

幼馴染のバカ兄弟に罵倒されたのをキッカケに、「とと」を名乗るなら学校をやめて自分が家計を支えたいと言い出す常子に、「常子が働いたところで大してお金は稼げない」と諭す母。
「(母が)なんとか一家を支えていました」というナレーションが入ったが、三姉妹を学校にやり、いつもノリの利いたパリっとした服を着せ、自分も綺麗に髪を結いあげ、いつもピカピカに掃除されている家、しかもあの時代に娘二人を女学校へやれるのだからそれなりに余裕のある暮らしだと思う。

どうやら田山涼成が給料以外にいくばくかの援助をしている模様。なるほどね。そういうことか。こりゃ社長さんだいぶ奮発してるね。あの奥さんの顔を見たらちょっと頑張りたくもなるよね。わかるわかる…と思ったら、木曜日に田山涼成が「援助を打ち切らせてほしい」と言ってきた。他にも結核で亡くなった社員はいるので小橋家だけ特別扱いはできない、と。そりゃそうだ。
本来は貰えないはずのお金、厚意の援助である。これが打ち切られると小橋家の家計にとって大打撃なのは当たり前のことだが、「小橋家にまた新たな問題が起ころうとしていました」という檀ふみの朗かすぎるナレーションのニュアンスは、まるで一家が「援助を貰って当然」と思っている図々しい一家みたいに聞こえてしまってちょっと残念な感じ。

それというのも、運動会の米俵騒動にも鳩騒動にも貧乏している現実感があまり感じられなくて、むしろ毎日優雅に暮らしているようにしか見えないのだ。
女学校に通う長女と次女は勉強もせず毎日かけっこしたり鳩を追いかけて遊んでいるし、おそらく薄給であろう女工さんの母親はまだ明るいうちに帰宅して夕飯の支度などしている。

勤めから早く帰れる母とヒマそうな上の娘達は内職をしてみてはどうか。
近所の大工の親方に仕事を貰おうとするのは世間知らずすぎる。小橋家の近所には内職の口がなかったのだろうか。それに本当に困窮しているのであれば、あの広々とした家を引き払って狭い家に引っ越すべきだろう。一家が引っ越さないのは、あの美しい日本家屋が会社の借り上げ社宅で家賃が格別に安いとかいう設定?

さて、先週に引き続きやたらと顔を出す鉄郎叔父さん。さすがは暮らしを大事にする竹蔵の弟、自分でわざわざご飯を炊いておひつに移してから食べる丁寧な暮らしっぷり。母子家庭の飯を食い尽くす鈍感な風来坊とは思えぬ育ちの良さである。

まるで誰かの夢の中からぽわんと出てきたようなひたすら現実感のない叔父さん。
この手のドラマにありがちな主人公のまわりをかきまわすトラブルメーカーの役回りを担うには、顔も芝居もアクが弱すぎる。そして演じている向井理がハンサムなのでつい勘違いしてしまうが、この手のキャラ的には愛嬌が足りない気もする。今のところしょっちゅう小橋家に現れてはちんまりと騒いで生意気な口を叩いてヒョロヒョロ逃げていくセコい男にしか見えないが、本来は「困ったヤツだが図太くて憎めないヤツ」という方向に演出すべきじゃないかと思う。
また竹蔵とどれだけ年が離れているのか知らないが見た目が若すぎる。童顔のせいもあるけれど、あの時代の雰囲気を考慮するとせいぜい十代の子供の格好にしか見えないよね。今週、ドラマの中は戦前だからね。山師としてのギラギラ感ゼロだし、サラっとしていて清潔でオシャレな現代の大学生みたいだ。戦前の地方都市であのスタイリング、サーカス小屋で働くハイティーンの男の子の役なら納得かも。

向井理に米を食い尽くされて困り果てる一家。
そういえば、「ゲゲゲの女房」で布美枝さんが水木センセイと結婚した時に夕飯の支度をしようとしたら米びつがからっぽ…というエピソードがあったのを思い出した。

それにしても、だ。
米がなければ芋をふかせばいいじゃない。粉と野菜の切れ端でもあればすいとんが作れるじゃない。
そういう工夫も小橋家が大切にしている“当たり前の家族の生活”だと思うのだが、一家が考えたのは「町内運動会の二人三脚の賞品の米俵をゲットする」という計画なのだった。マリー・アントワネットもビックリだよ。その前にいくらでもやることがあると思うのだ。近隣の人に米を借りるとか大家さんにお金を借りるとか。

朝ドラの主人公はおっちょこちょいで自己中心的なのが定番だが、今作の常子もかなりのツワモノだ。
町内の運動会で常子が二人三脚で勝とうとするのは、米俵が欲しいからだけではなくて、姉妹の中で自分だけが父から授かった「ととの代わりになってほしい」という遺言を実現させたいからだろう。父を失った悲しみから抜け出せずにいる美子を喜ばせたいから。そして美子に自分を「とと」だと認めさせたいから。
家族思いではあるが自分勝手な姉を静かにサポートする鞠子。元気すぎる姉を支え、意気消沈する妹を励まし、文句も言わずに家事にもいそしむ次女の鞠子がいなければ小橋家はめちゃくちゃだ。常子が鞠子のありがたみに気づく時は来るだろうか。

そんな小橋家の裏大黒柱、鞠子の協力を得て二人三脚に出場することに。何かとイチャモンをつけてくるバカ兄弟を無視する姉妹。その態度を「お前らの父ちゃ、しつけもろくにできねえのけぇ」と罵られてしまうのだが、バカ兄弟の台詞は、男尊女卑傾向の強いこの時代としてはある意味正論かもしれない。
小橋家の子供達は幼い頃から大人に生意気な口をきいても叱られたシーンがなかった。「我が家を大事にしよう」という家訓のみを伝えて父は逝ってしまった。

繰り返すけれど、今、戦前だからね。昭和10年だから。
大地主とか老舗の大店の娘ならともかく、地方都市でサラリーマンの遺児の女学生が「私がこの家の主です」「父親ですから」とイキがっても、地域の大人達に認めてもらえるとは到底思えないのだ。ここまで何人かのおっさんに多少文句を言われてはいたが、本当ならこんなものじゃ済まないだろう。男はもちろん女達からも総スカンを食うのではなかろうか。同級生からも教師からも近所のおばさんからも。

バカ兄弟に勝つために常子が提案した富士山作戦。「他のことは何も考えずに富士山のことだけを考えて走ろう」というもの。いや、普通のかけっこなら無心で走るのもアリかもしれないけど、これ二人三脚だから。二人のコンビネーションが一番大事だから。
だが、そこは仲良し姉妹。それぞれが口の中で「ふじさん、ふじさん…」と呟いていたら、いつの間にか息がピッタリ合って転んだバカ兄弟を抜かして見事3位入賞。美子も常子に声援を送って「とと」の代わりの「とと姉ちゃん」の権威回復。さらにクラスメイト達に「お前の姉ちゃんすげえな」「あんな姉さんおらも欲しいな」と言われて美子のいじめ問題も解決。
これまで小橋家には「富士山」に対してこれといった伏線はなかったと思うのだが、突飛すぎる解決法に驚く。富士山すげえ。おそるべし浜松っ子。

叔父に食われた米を補填しつつ末妹の信頼を取り戻す為に走るという名目だった二人三脚だが、いつの間にかバカ兄弟に罵倒された怒りに任せて激走する話に。
競技の後、「あんたたちのおかげで、鞠ちゃんがやる気になってくれたから」とバカ兄弟の長兄に礼を言う常子。常子に膝の傷を手当てしてもらってどぎまぎする長兄。そのうち本格的にバカ兄弟と和解して友情を確かめ合う回がありそうだ。あるいは後日東京での再会エピソードがくるか。
なお、バカ兄弟次男を演じる加藤諒は、バラエティで見せる顔とはまるで違う田舎の兄ちゃん役を坊主頭で好演中。

ところで本当にどうでもいいことだけど、常子は「とと」というよりもおっさんみたいな顔つきをするシーンが多いのが気になるのだが、誰かに似てる気がしてずっとモヤモヤ。窪塚洋介? 伊藤淳史? 一体誰に似てるんじゃろのう〜(常子の謎の決め台詞風に)。【み】

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