いつものように商店街をスーパーの袋を重たそうにぶら下げて歩く里香。
そこへ例のイケメンヤンキー君が自転車で通りかかったので、折よくスーパーの袋に入っていたタワシをぶつけて呼び止める。
ツッパリ仕様のジャージを脱ぎ、叔母達のお下がりのスキー帽やセーターに着替えた里香に驚くヤンキー君。以前のふたつにくくった髪型が可愛かったのに、と残念そうだ。
今も昔も帽子女子は男子のウケが今イチである。
里香がヤンキー君とデートした時のヘアスタイルはいわゆる「おさげ」と呼ばれたもので、女子中高生の定番ヘア。
いまだ「ハイティーン・ブギ」の影響下にあると思われる1986年、ヤンキーなら頭のてっぺんで結ったポニーテールやろがい!と思うわけだが、むしろ真面目なお嬢さん風のおさげの里香が新鮮で可愛らしく見えたのかもしれない。
イケメンヤンキー君と並んで歩く里香をまたもや目撃してしまうヤンキー少女達。
ジャージを着ていない里香を見分けることができず、「誰だあの小学生!」と色めくが、ヤンキー君に妹がいたのを思い出し、そうだ妹だという結論に落ち着くのだった。なんだそれ。遠山の金さんか。
遠山の金さんシステム採用のおかげで今日は何事もなく済んだが、結局、不良少女達との確執は解決していないのである。
「人は着ているもの云々」という糸子の台詞通り、里香がジャージを脱ぐことによってヤンキー少女達とのトラブルをまぬがれた形だが、こうして同じ商店街で暮らしてヤンキー君とも親しくしていたら、常識で考えればそのうちまたヤンキー少女達の襲撃を受けるのは必至。
ジャージを着ていようがセーラー服に着替えようがボディコンに着替えようが、彼らにとって里香は自分達の縄張りを仏頂面で歩く東京もんであり、自分達の仲間であるイケメンヤンキー君にちょっかいを出す厄介な女なのである。
たとえば、直子おばさんデザインの先鋭的なファッションで商店街を颯爽と闊歩したら、さすがのヤンキー少女達もおとなしくなるかもしれないけど、話がややこしくなるからヤンキー君との仲良しエピソードは余計だった気がするよ。
「糸子ブランド創設のため、これからは仕事が大変になるけどよろしく」と孝枝と浩二に話す糸子。
この店も今はのんびりしているが前にいた二人は声が枯れるまで私に文句を言っていた…と話しているところに、糸子と昌子と恵の懐かしい映像が重なる。
「先生に文句を言うなんてまさか」「我々は黙ってついていきます」と孝枝と浩二。
この後、孝枝と商社マンが衝突するシーンへのフリの台詞なのだけれど、ということは、孝枝と浩二は昌子と恵を知らないというわけで、いきなり二人が辞めるか亡くなるかしたのだろうか、孝枝と浩二が来るまでは店のアレコレはどうしていたのだろうか…と余計なことを考える。
縫製担当の浩二はともかくとして、経理や事務の引継ぎはどうしたのかしらん。
もともと経理が苦手な糸子が六十過ぎてからコツコツなんとかしたのだろうか。
以前と違って客が減っていたからなんとかなったのかな。
でも、客が随分減ったという今でさえ孝枝が毎日机に向かって何かやっているのだから、空白の12年の間はもう少し忙しかったのでは?
アホボン三人組の一人、東京からきた生意気な商社マンにたどたどしくも偉そうな口を叩かれてヒステリーを起こす孝枝。
「ウチみたいなオバチャンにそない新しいことじゃんじゃか言われたかて無理なんです」と悲鳴を上げていたが、孝枝役の竹内都子の実年齢は幾つかしら…とウィキペディアを見たところ、1962年1月生まれの50歳であった。確かにオバチャンはオバチャンだけど、ふっくらしているせいか若々しい。
泣いたり文句を言ったりしている時の竹内都子の顔はドランクドラゴンの塚地武雅にちょっと似ている。【み】