「人間に賭けるな」(前田満州夫監督/1964年/日活)。
ヤクザの組長(二本柳寛)の妻でありながら若い競輪選手(川地民夫)を八百長から脱却させることに全てを賭ける女(渡辺美佐子)と川地民夫と結婚しヤクザの世界からの脱出を図る組長の姪(結城美栄子)の対立、そして偶然知り合った渡辺美佐子に強く惹かれていく競輪依存の男(藤村有弘)。
藤村有弘が勤務しているのは外資系のシェーバーの会社。
藤村有弘のボスは外国人女性である。彼女は部下に厳しい一方、週末には「皆さん、一週間のお仕事ご苦労さま。月曜日には元気いっぱいのコンディションで会いましょう」と社員達に達者な日本語で訓示を垂れる。“何でもかんでもキーキー怒るヒステリーババア”だとか“厚化粧に薄着で迫るセクシー年増”みたいなありがちなコミカルな設定にせず、リアルな人物として描いているのが非常に好もしい。
藤村有弘の妻(上月左知子)は大学で教えているらしい。帰宅は遅く休日にも出勤するほど多忙な彼女は藤村有弘にせがまれて子どもを産んだが仕事一本槍で我が子には興味がないし、藤村有弘に房事を迫られても拒否する。
外資系のサラリーと大学からの給料があれば相当リッチな生活ができそうなものだが、藤村有弘は窮乏している。
それは藤村有弘が重度の競輪依存だからだ。会社の大事な金と養育院に支払う金を競輪で使い込んでしまったのだ。あとはもう首をくくるしかない。
藤村有弘は競輪場に行って起死回生を図るが、彼が買った車券はすべて紙くずと化した。
藤村有弘が新宿で玩具店のウィンドウをのぞいていると、そこへ競輪場からの帰りにたまたま乗合タクシーで一緒になった渡辺美佐子がやってきて、明日もう一度競輪場に行き飯田栄治(川地民夫)に賭けろと言う。
強い選手が八百長で負けるならともかく弱い飯田栄治が二日連続で勝つだろうかとその予想の根拠を問うが、渡辺美佐子は「飯田栄治は明日も勝つ。それだけよ」ときっぱりと言い切るのだった。
切羽詰まっている藤村有弘は翌日競輪場へ行く。渡辺美佐子の言う通りに車券を買うと、見事大穴を当て大金を手にする。これで首をくくらずに済んだ。
藤村有弘が渡辺美佐子に礼を言おうと近づくと、「あんた誰なのさ」とまったく見知らぬ者として邪険にされてしまう。それでもしつこく言い寄る藤村有弘を乾分達が暴力で排除しようとするのだが、渡辺美佐子は「よしなよ、こんな競輪ボケなんて。おおかた負けて頭キテんだよ」と吐き捨てタクシーに乗ってさっさとその場を去ってしまうのだった。
藤村有弘は命の恩人である渡辺美佐子にどうしても礼が言いたい。
そこで、去っていくタクシーを追いかけ、タクシー会社に電話をかけて彼女の行き先を尋ね、酒井組の事務所を探し出し、近所の煙草屋のおばさんに彼女の名前を教えてもらう。
捜査一課の刑事もかくやという聞き込み力。というかやっていることは完全にストーカーである。
渡辺美佐子の夫である酒井組組長の二本柳寛は、現在、刑務所で服役中だ。夫が留守の間、渡辺美佐子が代わりに酒井組を仕切っている。
だが、二本柳寛を警察に通報したのは渡辺美佐子なのだった。
その後、藤村有弘は出張中に行った関西の競輪場で渡辺美佐子と再会し、連れ込み宿へ行く。
渡辺美佐子は着物の裾を開いて太ももに彫られた大きな松の木の入れ墨を見せた。
川地民夫はこの入れ墨を見た途端逃げ出したという。
だが、藤村有弘は躊躇せず松の入れ墨に接吻し、渡辺美佐子と関係を持つ。
藤村有弘は寝物語に入れ墨の由来を尋ねる。
いわく、二本柳寛と一緒になった時に、自分の名の「小松妙子」の「松」と夫の「酒井松吉」の「松」にちなんで彫ったのだという。その頃の夫は今どきのヤクザには見られない度胸と張りがあって大層素敵だったのに最近はすっかり魅力が失われたと語る渡辺美佐子。
翌朝、藤村有弘は連れ込み宿の女中に起こされる。渡辺美佐子はすでに宿を出て、名古屋へ行ったらしい。
女中が預かったという封筒を開けると、中には渡辺美佐子名義の通帳と印鑑。
通帳を開くと「とても愉快でした。通帳はあんたのものよ。使ってください。これ以上、あなたが続けてはなりません。さよなら」という手紙がはさまっていた。
八百長に加担して負け続ける競輪選手の川地民夫。今日こそ必ず勝つと信じ金の続く限り競輪場に通い川地民夫に賭ける渡辺美佐子。川地民夫をめぐる渡辺美佐子と組長の姪結城美栄子の三角関係。渡辺美佐子に溺れる藤村有弘。
前田満州夫監督はこのどろどろした人間関係をスタイリッシュな映像と音楽で淡々と描く。
さて、組長の二本柳寛が刑務所から出所する日も渡辺美佐子は競輪場にいた。
序盤では美しく化粧をして和服を粋に着こなし髪をきれいに結い上げていた渡辺美佐子は、いつの間にかボサボサ髪になり、今や目の下にはくっきりと隈が出ている。
競輪場で出会った藤村有弘に、「やるよ、栄治はやるよ、今日こそきっとやる! 今日は走るよ」とまるで何かに憑かれたように話す渡辺美佐子。そして、川地民夫に賭けるよう促す。
だが、この日、藤村有弘はギャンブルをする気はなく、以前渡辺美佐子に貰った通帳を返すために競輪場に来ていた。
藤村有弘が「ずいぶん使わせて貰ったよ」と言って通帳を返そうとすると、渡辺美佐子は「現金だよ、今必要なのは! 現金じゃなきゃ駄目じゃないか!」と叱りつけるので、慌ててポケットから手持ちの現金を出して渡すと、「なにさこれっぽっち」と言われてしまう。藤村有弘が今日は賭ける気がなかったので現金を持っていないと釈明すると、渡辺美佐子は「バカ! 恩知らず!」と罵って歩き出すが、すぐに戻ってきて藤村有弘の手から現金をひったくると「しみったれ!」と捨て台詞を残して去る。それを唖然とした表情で見送る藤村有弘。
ヤクザの姐御らしい貫禄は消え、ギャンブルにのめり込んで正気を失った女に成り果てた渡辺美佐子。
車券売り場へ向かう渡辺美佐子の前に立ちはだかったのは、姪の結城美栄子。
川地民夫に賭けるのはもうやめてほしいと訴える。まるで意に介さず渡辺美佐子は売り場へ行こうとするが、結城美栄子は「あの人、駄目にしたのは姉さんよ!」となじる。
車券の販売締切時間を知らせるブザーが鳴っている。
渡辺美佐子は「おどきったら!」と叫んで行く手をさえぎる結城美栄子を張り倒し、車券売り場へ向かった。
締切に間に合い、無事車券を購入した渡辺美佐子。
ふいに肩をつかまれ振り返ると夫の二本柳寛と乾分達がいた。
競輪場の裏手に連れていかれる渡辺美佐子。
二本柳寛は「俺を通報した野郎がわかったんだ」と言う。
「そりゃよかったね」と渡辺美佐子。
「それが野郎じゃなくて女だったんだ。誰だかわかるか」と淡々と問う二本柳寛が恐ろしい。
しかし、渡辺美佐子は平然として「知らないわけないじゃないか」と答える。
二本柳寛は「おう、いい度胸だ」と言ってちょっと笑う。
「外に車が待たしてある。飯でも食いながらゆっくり…」と二本柳寛が話している途中で、競輪場で発車のピストルが鳴った。
渡辺美佐子は競輪場の方へフラフラと歩み寄り、大きく伸びをすると、「今、栄治のレースが始まったとこだよ」と嬉しそうに言う。
渡辺美佐子は二本柳寛にゆっくり抱きつき、「あんた、留置場で苦労したそうだね」とつぶやく。
二本柳寛は、それを聞いて「なんだと? 苦労もすらあな」と苦笑いして答えたその直後、苦しそうに顔を歪めて渡辺美佐子を突き飛ばすが、耐えきれずしゃがみこんでしまう。
渡辺美佐子の手には血の付いた短刀が握られていた。
毒を飲みがちな渡辺美佐子はまた服毒自殺をするのではないかと心配したが、今回は飲まなかった。だが、この後、いろいろとしんどい目にあうであろうことを示唆するエンディング。
ワンシーンしか出てこなかったが、組長を演じた二本柳寛はいかにも“できるヤクザ”の貫禄があり渋くて格好が良い。
珍しく藤村有弘がシリアスな演技を貫く。
藤村有弘のスーツ姿はいつもながら恰幅よく堂々としている。
日活でスーツを一番エレガントに着こなす男。
スマートでスラリと足の長い石原裕次郎も小林旭も藤村有弘にはかなわない。
唯一、岡田眞澄が対抗できそうな気もするが、ファンファン大佐のスーツは女にモテるスーツ。
藤村有弘のスーツはエリートのスーツ、富裕層のスーツだ。あるいはエリートや富裕層を装った詐欺師のスーツである。
競輪×渡辺美佐子といえば「競輪上人行状記」。
「人間に賭けるな」も「競輪上人行状記」と同じく、原作は寺内大吉原作の小説。
「競輪上人行状記」は実家の寺を継いだ競輪依存の僧(小沢昭一)が主人公だったが、この作品の主人公はキリスト教の教会の施設に乳児を預けている競輪依存の外資系サラリーマン。何か事が起こるたび、彼の心の中には教会の鐘の音とグレゴリオ聖歌が流れる。
構図や音楽がスタイリッシュで時々ハッとするような画面もあるが、いかんせん登場人物の立場が特殊すぎて感情移入が難しいのが惜しい。
若い頃から「クラクラっとする生き方が好き」という刹那的な人生を歩んできた渡辺美佐子はとにかくエキセントリック。入れ墨見せるわ叫ぶわ歌うわ踊るわ姪を殴るわドスで夫を刺すわの大暴れ。
映画を見ている時はたいして気にならなかったのだが、こうして筋を追い出来事を拾いながら書いてみたら何とも支離滅裂になってしまい弱った。エキセントリックには理屈が通じない。というかエキセントリックの生き方に理屈はないのだった。【福】