映画の感想文「競輪上人行状記」

競輪上人行状記」(西村昭五郎/1963年/日活)。

西村昭五郎監督のデビュー作。原作は浄土宗の僧侶で作家の寺内大吉。
日活の公式サイトによると「脚本:大西信行」とあるが、FilmarksやKINENOTEなどの映画サイトを見ると「脚色:大西信行、今村昌平」となっている。

出演

伴春道=小沢昭一、春道の教え子 小酒井サチ子=伊藤アイコ、春道の兄嫁 みの子=南田洋子、鏡味=小山田宗徳、佐山了雲=高橋昌也、佐山徳子=松本典子、芳順=高原駿雄、芳順の情婦 シマ=初井言栄、山県=嵯峨善兵、ブラック婆=武智豊子、ブラック婆の息子 オサム=江角英明、サチ子の父 源二=土方弘、作子=三崎千恵子、春道が競輪場で出会った女 辰代=渡辺美佐子、葬儀屋 色川=加藤武、春道の父 玄海=加藤嘉

お経の合間に競輪通い!車券みつめて南無阿弥陀仏!若い坊主が悩みを紛らそうと、競輪にはまり堕ちて行く様をユーモラスに描いた喜劇。

こんな日活の宣伝文句に騙されるとえらい目に遭う。

お寺の次男として生まれたものの仏門に入るにを嫌って中学教師になった主人公が、兄の死をきっかけに生家の寺に戻り坊主となりギャンブルにはまりひたすら転落していく、人間の業を描いた作品。
そういう観点で見れば良く出来た作品なのに、日活の売り出し方がおかしい。

主人公をとりまくエピソードも、実父に犯され妊娠した教え子の少女サチ子、ギャンブル中毒の女、舅に犯される嫁、供養のため寺に持ち込まれた犬の死体を焼鳥屋に卸す話、競輪場に散らばるハズレ車券の中に落ちていた金を老婆と奪い合うなどひたすらドンヨリ感を高めていく。
教え子の少女役の伊藤アイコがこの時たったの13歳だというのもおおいに心を乱される。

「喜劇」でも「コメディ」でもないこの陰鬱な作品の中で、武智豊子の役名「ブラック婆」だけは面白かった。劇中、その名の由来は一切語られなかったのもまたよし。
いつも手作りの映画のカメラのようなモノを持ち歩いている、“映画のカメラマンバージョンのどですかでん”的な青年江角英明は彼女の息子だ。
この江角英明小沢昭一の教え子の少女伊藤アイコが好きになってしまう。「あの娘をウチにおくれ」と伊藤アイコを息子の嫁として金で買いたいと武智豊子小沢昭一に持ちかけるシーンもこれまたなかなかのドンヨリ具合。

ギャンブルにはまりすべてを失った小沢昭一は、最後の大勝負に出る。
第7レースに彼の持ち金すべての30万円を突っ込んだ。

小沢昭一が第7レースを待っている間、隣に座っている渡辺美佐子は何故か体を縄でベンチにくくりつけている。聞けば、自分も第7レースに絞っているがそれまでは車券を買いに行かないように自分で自分を縛ったのだという。
そして、運命の第7レースで小沢昭一が買ったのは「2-4」の車券で、渡辺美佐子が買ったのは「4-2」の車券。ふたりともこれが最後の軍資金だ。

結果は「2-4」。払い戻し金額は1760円。
小沢昭一は一気に大金を手にした。

渡辺美佐子は、帰ろうとする小沢昭一に「3000円貸してほしい」と声をかけてきた。
小沢昭一は快く貸してやるが、渡辺美佐子は「見ず知らずの人にお金を貰うのは心苦しいから代わりに自分を好きにしてほしい」と頼む。

いやいや、どう考えてもヤバい展開でしょ。
小沢昭一を油断させておいて全財産持ち逃げコース一択なのでは?

連れ込み宿で小沢昭一がシャワーを浴びて出てくると、渡辺美佐子は「ジュースを買っておいた」と言う。テーブルの上にジュースが注がれたコップが2個置いてある。
ほらね? たぶんそれ睡眠薬入りのジュースだよ。昭一! それ絶対飲んじゃだめだから!

しかし、小沢昭一は喜んで飲もうとするのである。
ところが、うっかりコップを倒してしまい、中のジュースは全部こぼれてしまう。
それを見た渡辺美佐子小沢昭一の顔を上目遣いにじっと見ながら「ツイてる、どこまでも……」とつぶやき、もう1個のコップのジュースを一気に飲み干す。

その途端、激しく苦しみ出す渡辺美佐子。うめきながら「苦いわ」とか言っている。
渡辺美佐子は、何と小沢昭一を巻き込んで無理心中をするつもりだったのだ。
枕探しどころじゃなかった! 睡眠薬じゃなくて毒物混ぜてた! 美佐子をナメてた!
そして、結構な時間をかけてじっくり苦しみ、渡辺美佐子は連れ込み宿のベッドで息絶える。

その後、小沢昭一はギャンブルで儲けた金で借金のカタに取られた寺を買い戻し、使い込んでいた本堂再建資金も元に戻した。さらに、実家に戻っていた兄嫁南田洋子のところへ行き、寺に戻って兄の息子(本当は舅加藤嘉との息子)に跡を継がせてほしいと頼む。

それから5年後。
小沢昭一は、元教え子の少女伊藤アイコを連れて僧形で地方の競輪場を回って予想屋をしていた。

馬鹿者どもが! 一体どういうつもりで大事な金をドブに捨てるんだ!
今、お前らのなくした金があれば、母ちゃんに新しいパンティ買ってやれるんだぞ。子どもにバットもミットもグローブも買ってやれるんだ。
ろくに調べもしないで大事な金をつまらんサイコロの目に賭けてなくす馬鹿があるか!

一日汗水たらして働いてやっとこ500円取れるか取れないお前達が、どきどき震えながら1000だ2000だと車券を買ってそれで儲かると思ってるのか!

お前達何も悪いことしてるんじゃないんだぞ。いいか、高い税金取られた上にまだ足りなくて、100円券1枚について25円も役場に寄付して、道路作らしたり学校建てさせたりしてる功労者じゃないか。
もっと大きなツラをしろ。胸を張って威張るんだ。そうすりゃ心も落ち着いて目も見えてくるから損をしない。

そういって、お前達素人には何者にもとらわれず心を虚しゅうして予想を立てるということは難しいよな。だが、お前達の代わりに俺の立てた予想どおりに買ってこい! 1000や2000は必ず儲けさせてやる。いいか? 余計なものを買うなよ? この通り1本で買え。

本当に救われようと思ったら、あれこれかまわず、迷わずに念仏一筋に生きろ。
俺達の宗祖様法然さんも「選択本願集」の中で言っておられる。あらゆる雑行を捨てて、念仏という正行一本に生きるんだ。
どうせ俺達は、煩悩というものが体の中にこびりついている。断ち切ろうと思っても断ち切れるもんじゃない。

だから、汚い体のまま、汚れた体のまま、阿弥陀様におすがりしろ!
俺も、この俺も、坊主の身でありながら、お前達と同じようにギャンブルの世界に飛び込んできた。
その俺がお前達に教えることはこれだ! いいか?

車券は、はずれることを怖がっちゃいけない!
取れる時は一本で取れ!
わかったか!
あれこれ迷うな!

予想屋に集まる人々を前にして火の玉のごとき売り文句。これはまさに辻説法である。

最初は素朴で真面目な中学教師だったのに、ギャンブルにはまっていくにつれ目つきが鋭くなり荒んだ表情になる。どのシーンでも的確な芝居をする小沢昭一の演技力に唸る。
予想屋をする“競輪上人”となってからの悟ったような表情も見事だ。

いろいろな映画でクセの強い役柄を軽妙に演じている小沢昭一主演の「コメディ」と思って見たら、あにはからんや、人間の業の深さを描く“鬱映画”の傑作だった。
音楽を担当しているのは黛敏郎だが、映画を見終わった今、オープニングに死を表すグレゴリオ聖歌「怒りの日」を使っていた理由がよくわかったよ。
この不吉な曲を使うことで、「これは決して楽しい話ではありませんよ」と黛は警告していたのだ。

「大当り百発百中」(1961)で小沢昭一に競馬の予想をさせていた愚連隊のボス加藤武が、今回は小沢昭一にダフ屋を教えて競輪の深みにはまらせてしまう調子の良い葬儀屋を演じている。
ウィキペディアによると小沢昭一加藤武は旧制麻布中学校の同級生。他にフランキー堺、仲谷昇、この映画の脚本家の大西信行、精神科医で作家のなだいなだ、越路吹雪の夫で音楽家の内藤法美も同級生だという。おそるべし麻布中。【福】

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