映画の感想文「谷岡ヤスジのメッタメタ ガキ道講座」

谷岡ヤスジのメッタメタ ガキ道講座」(江崎実生監督/1971年/日活)。

ノーフューチャー。
「未来を切り拓け」的な意味ではなく、文字通りのノーフューチャー。
谷岡ヤスジのあのシュールな漫画を実写化するという破天荒が過ぎる企画。特にストーリーらしいストーリーはなくやりすぎなエピソードが連なっていく。

原作は「週刊少年マガジン」連載の「ヤスジのメッタメタガキ道講座」(谷岡ヤスジ)。
学校や家庭で子供ガキたちが大暴れし、オトナ達も負けじと大暴れし、殴る蹴るは当たり前、ノコギリで頭を斬るやら包丁を突き刺すやら、大出血の大惨事の日常が乾いたタッチで描かれるバイオレンスなギャグ漫画。

いや、何が驚くって、あの「ムジ鳥」をエースのジョー宍戸錠が演じているのだ。何故? どうして?

ムジ鳥
これが一斉を風靡したムジ鳥
(ちくま文庫「現代マンガ選集 破壊せよ、と笑いは言った」より)
宍戸錠のムジ鳥
原作通りのポーズで「あさーっ」をキメる宍戸錠ムジ鳥

頭にトサカをつけた鳥なのだからニワトリの仲間じゃないかと思うのだが、宍戸錠ムジ鳥はどういうわけか目も覚めるような真っ青のコスチュームである。白で良くない?
脚は原作通り5本ついている。だが、これは脚を素早く動かした時に見える残像というマンガ的な描画表現なので2本で良いと思うのだ。
とかなんとか言っているが、「宍戸錠がムジ鳥を演じる」という衝撃の事実の前には何もかもがどうでもいい。
捕まって焼き鳥にされて食われてしまうがすぐに蘇る。焼かれた宍戸ムジ鳥はやはり5本脚だった。

冒頭、ダッチワイフならぬダッチボーイのセールスマン役で笑福亭仁鶴が登場する。
今でこそ吉本興業の最上位に座っていた関西きっての大師匠であり、「四角い仁鶴がまあーるくおさめまっせ」の「バラエティー生活笑百科」の人として認知されていると思うが、この時代の笑福亭仁鶴は、ラジオの深夜放送や「ヤングおー!おー!」のMCや「ボンカレー」のCM出演などで活躍し、若者に支持される大人気タレントだった。

笑福亭仁鶴が売りつけるゴム製のダッチボーイは空気を入れるとまるでホンモノの男性のようになる(なぜならホンモノの俳優が演じているから!)。夫に満足できず欲求不満のメタ子(藤江リカ)はたくましいイケメンダッチボーイがひと目で気に入り、即お買い上げ。
早速、部屋にこもってダッチボーイで遊ぶ藤江リカ。しかし、肝心の下半身のモノがついていなかった!
藤江リカは黒々としたアイメイクで漫画チックな表情を見事に作り出していて感心した。

藤江リカ
藤江リカの見事な表情

藤江リカの夫のオラ山ダメ次役は、当時てんぷくトリオで活躍していた三波伸介(初代)。2009年に彼の長男が「二代目三波伸介」を名乗ったので初代と書かなければならないのが面倒くさい。
三波伸介(初代)はヒットフレーズ「びっくりしたなぁもう!」も得意の顔芸も使わず、寒風ふきすさぶ荒野のごとき映画の中で粛々と優しいパパを演じている。
1973年の映画「ダメおやじ」でも主役のダメおやじを演じている三波伸介(初代)。過激なマンガ原作映画のパパ役専門俳優なのか。
そういえば、1970年の黒澤明監督の映画「どですかでん」でも、妻の浮気で生まれた子らを育てる優しい父ちゃんの役で出演していたっけ。70年代の「過激な設定の映画の優しいパパ役俳優」か。
ちなみに、NHK「お笑いオンステージ」での著名人ゲストの子どもと対話しながら似顔絵を描く「減点パパ」コーナーはウィキペディアによると1973年スタートだ。

三波伸介(初代)と藤江リカの間には、長男のガキ夫(松原和仁)と次男のキン太(アタック一郎)という二人の子どもがいる。長男は小学生、次男はまだ母乳を飲む年頃の赤ん坊だ。

主演の松原和仁の映画の出演作はこの1本しか確認できなかったが、「帰ってきたウルトラマン」32話(1971)、「プレイガール」168話(1972)、「特別機動捜査隊」587話(1973)といった一般向けのドラマのほか、「走れ!ケー100」33話(1973)、「スーパーロボット レッドバロン」(1973)、「電撃!!ストラダ5」10話(1974)などの特撮ドラマに出演していたなかなかの人気子役である。
KINENOTEには「主人公のガキ夫には一般募集で選出された松原和仁が扮する」とあるが、この映画の主役に選ばれたのをきっかけに子役業に進んだのか、実はもともと子役として活動していた人なのかは不明。その後の経歴もわからない。

弟役のアタック一郎は、1970年から1971年に公開された日活映画「ハレンチ学園」シリーズで、主人公山岸の同級生風間を演じている(同時期に放送されていたドラマ版にも出演)。実写版での「ハレンチ学園」は生徒たちが学生服を着ているので中学校か高校が舞台だと思うのだが、そうなるとアタック一郎は赤ちゃん役を演じているものの、実際は十代から二十代の俳優だったのだろうか。
さらに検索すると、「ウルトラマン」26-27話の「怪獣殿下」の回に「加藤勉」名義で出ているという。ネットを検索すると「怪獣殿下」に出演中のアタック一郎と思しき少年の画像がヒットした。
「怪獣殿下」のオンエアが1967年だから、見た感じで雑に計算すると1950年代半ばから後半の生まれと考えると、「メッタメタ ガキ道講座」に出演した頃はやはり十代か。
ウィキペディアを見ると、1966年放映の「快獣ブースカ」6話の「野球珍騒動」で「実況アナ」役で出演している様子(加藤勉名義)。この「実況アナ」が大人の役なのか子どもの役なのかわからないので判断しがたいが、やはり1950年代半ばから後半にかけての生まれとみた。今回は小柄で童顔なのを買われての起用だったのであろう。だが、アタック一郎に関するこれ以上の情報は見つからなかった。
「ウルトラマン」と「快獣ブースカ」という有名な特撮ドラマに出演しているので、そちら方面の先達なら何かご存知やもしれぬ。

劇中、「ワンら」、「ハフハフ」、「オラオラオラ」、「だもんね」、「ドージョ」、「なんだなんだ」「どうしたどうした」といった原作のセリフを無駄に忠実に再現しているため、メリハリなく常に画面は荒くれている。
ちなみに「ハフハフ」というのは、性的興奮で息が荒くなる表現。
劇中では子役たちにも容赦なくこのセリフを言わせている。いたいけない女子小学生が「ハフハフ、ハフハフ、ハフハフ、ハフハフ」と言いながら歩くシーンなどはつい目を伏せてしまいたくなるようなツラさがあった。

パイパイをせがむ赤ん坊もそれを横取りする小学生も、女優の胸元から引っ張り出したニセモノの乳房をくわえる。
鼻血ブーは何故か血糊ではなく、吹き出した鼻血型の造形物。
その試みが成功か失敗かはさておいて、徹底的にマンガ的な表現を目指しているようだ。
だが、細い線で描かれている谷岡ヤスジのマンガ世界を日活が実写化すると、ただひたすらに重苦しい。

監督の江崎実生は、石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」、小林旭の「黒い賭博師 ダイスで殺せ」、渡哲也の「錆びたペンダント」など、日活黄金期のアクションもののヒット作をたくさん撮った人。
そんな監督がどうしてこんな映画を?

実はこの頃の日活は経営難に陥っており、1969年には撮影所、1970年には本社ビルを売却、「同じ不採算で同根の大映と配給部門を合体してダイニチ映配を設立ウィキペディアより)した。この作品はこのダイニチ映配時代の作品である。つまり、日活が得意としていたアクションものも青春ものも文芸ものも既に製作できない状況だったのだ。
日活は1971年11月に一般映画の製作をすべて中断し(1988年再開)、「日活ロマンポルノ」をスタートさせる。
江崎監督はロマンポルノに路線変更した日活を去り、テレビドラマの世界で活躍するようになる。
「プレイガール」「大江戸捜査網」「夜明けの刑事」「噂の刑事トミーとマツ」「秘密のデカちゃん」「高校聖夫婦」「スチュワーデス物語」「不良少女とよばれて」「スクール☆ウォーズ」「青い瞳の聖ライフ」「乳姉妹」「ポニーテールはふり向かない」「禁じられたマリコ」「セーラー服反逆同盟」などなど、昭和のテレビっ子なら一度はお世話になっているような人でもあったのだ。

主人公の祖母の役に武智豊子、悪童たちに絡まれ最後はドスの利いた声で怒鳴りつける婦人警官役にカルーセル麻紀、農地を売って大金持ちになった田舎の成金男役で宍戸錠の弟の郷鍈治、この他にも若水ヤエ子前田武彦、そっくりさんの勝新太郎、そっくりさんの牧伸二等々、バラエティに富んだというか整理の悪い引き出しをひっくり返したようなカオスなキャスティング。

私が小学生だった70年代前半のマンガ特有のグロテスクな暗さや怖さを思い出し、見終わってからしばらくどんよりとした気分に包まれてしまった。
なお、主題歌「ヤスジのオラオラ節」を、原作者の谷岡ヤスジが気持ち良さげに唄っている。
積極的にオススメする作品ではないのだが、ムジ鳥に扮しているエースのジョーだけは一見に値するので、何かのついでにご覧いただきたい。【福】

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