糸子もすっかり年をとってしまった。
「昔は△△だったが、今は□□になってしまった」という物の言い方。
老いてきた人、頭の堅くなってきた人特有のフレーズだ。
「今は、モードの力、ごっつい強いやろ。去年、最高に良かった服が、今年はもうあかん。どんなけええ生地で、丁寧にこさえたかて、モードが台風みたいに、全部なぎ倒してってまいよんねん」。
以前、北村が既製服の型紙を作らせようとした時に、戦後すぐに流行らせた水玉のドレスの型紙を頼もうとしたら、糸子はなんと答えたか。
オタク、婦人服ナメてますんか? あんなあ、あの水玉でええんやったらなんぼでも教えますわ。けど、よーう考えてください。ほんまにあれでええんか?
「あかんのけ?」と驚く北村に「チッ」と舌打ちまでした糸子。
北村の首根っこをつかまえて戦前から戦中にかけての婦人服の流行の移り変わりを説明し、最後に自分が描いた水玉ドレスのデザイン画を見せて、糸子はなんと言ったか。
昭和21年の春から夏に、確かにごっつい流行りました。けどもう、それも、2年も前の話です。残念ながら、もう犬でも食いません。よろしいか、北村さん。婦人服にはな、流行っちゅう、厳しい厳しい自然の掟ちゅうもんがありますんや。オタクも婦人服始めるんやったら、その掟の前に土下座するつもりでやらんとあきませんで!
これはちょうど周防との不倫の恋に落ちそうになっていた頃。
体力も稼ぎも勢いもある三十代の糸子が北村にまくしたてた台詞である。
老いたといえば、お隣の木岡のおっちゃん。今日もまた一人で順調に老いていた。
ロンドンへ旅立つ聡子を見送るシーンでのよぼよぼぶりは見事の一言。照明の加減もあるのだろうが、輪郭が淡く見える感じもとてもお年寄りっぽい。
それにしても、北村に誘われて上京しようかどうか迷っているという話を、まず八重子に話すというのはどうなんだ糸子。それも昌子が居間のすぐ隣の台所でお燗をつけている時に。
そして、昌子が居間に戻ってきたら、慌てて「シーッ」って……。
「どうぞ続けてください。知ってますさかい。ウチも恵さんも、先生のええようにしてもらうんが一番や思てます」と静かに話す昌子。糸子は気まずいんだかなんだか、上目遣いに「そらおおきに」。
まだ迷っているから昌子と恵に話せなかった? 従業員の生活を考えるとおいそれと結論が出なかった? 昌子がすぐそばにいるのに八重子との話は聞こえないと思った? 今話すと昌子と恵に反対されるような気がした?
それにしたって「シーッ」はいかんよ「シーッ」は。
戦時中の苦しい時も一緒に乗り越えた昌子である。糸子のお産の手伝いまでした昌子である。
隙あらば無茶をする糸子をずっと支えてきた口うるさいが忠実で真面目なオハラの番頭格。
そんな昌子にこういう扱いをしちゃいかんよ糸子。糸子と長いつきあいの昌子に言わせれば「こんなん慣れっこですさかい」かもしれないが。
北村に「流行に土下座しろ」と言ったことはすっかり忘れて、「今はモード台風が」などと言う理不尽な糸子。
若い頃からおっさんのようなところがあったが、段々偏屈な爺さんみたいになってきた。
娘との接し方や怒鳴り方は善作によく似ているが、善作は幼い頃の糸子をなめるように可愛がっていたし、頭を下げるのを厭わない商人気質だったし、そして大層明るい人だった。
一方、糸子は、幼い頃から我が子よりも仕事、自分が納得しないことには頭を下げない。そういえば、これも繊維組合の女性経営者達相手に「女は男と違ってちゃーっと頭下げるのは平気」などとぶっていたっけ。
中年以降の糸子は、家では基本的に苦虫をかみつぶしたような顔でミシンをかけているか、酒を飲んでいるか、寝転がっているかである。
糸子の楽しそうな顔は、直子の同期の男子三人組と会う時ぐらいしか思い出せない。それほどいつも不機嫌な顔をしているのだ。
おっさんみたいなオバハンはともかく、頑固ジジイみたいなオバハンというのはいかがなものか。
まったくヘンテコな朝ドラヒロインもいたものである。
それはともかく、昌子には幸せな晩年を迎えさせてあげてほしい。
糸子のモデルである小篠綾子さんは最後まで現役でバリバリ働いていたらしいが、ドラマの糸子も昌ちゃんも一緒に現役でがんばれ。【み】