おしんの孤独を考える。

朝起きると録画しておいた「おしん」を見るのが、この1年弱の私の習慣である。
知恵とガッツで艱難辛苦を逃れた小林綾子おしん時代も知恵とガッツとお色気で厳しい時代を乗り越えた田中裕子おしん時代も、毎日楽しく見ていた。
貧農に生まれた女性が男尊女卑の世界で生き抜くパワー、戦争が人々の運命を変えていく激動のストーリー、個性的な登場人物達との出会いや別れ、そして何より田中裕子の美しさに、「さすがは国民的朝ドラ」と素直に感心して見ていたのだ。

だが、現代編に突入してからはそんな楽しさはもう感じられない。
今のおしんは、念願の店を持ち、実子夫妻が跡を継ぎ、孫達にも恵まれている。
老年にさしかかった今もまだ店を大きくしたいという生きがいもある。
それなのに、ドラマの中のおしんはちっとも幸せそうではないのだ。

現代編の「おしん」には、涙も笑いも怒りも感動も感慨も余韻も何もない。
ただあるのは物語の筋だけである。

小林おしん時代から田中おしん時代は、窮地に陥ると誰かが助けてくれた。
仕事や金銭面で助けてくれる人物もいたし、おしんの心を支えてくれる人物もいた。
親から大切にされなくても祖母がおしんを見守ってくれていた。
お茶お花から読み書きそろばんまで教えこんでくれた奉公先の大奥様もいた。
おしんが無理難題を持ちかけても「よかよか」と許してくれるおおらかで優しい夫がいた。

しかし、今のおしんは孤独である。

実際には身近に初子がいるのだが、店の誰よりも働き、毎晩おしんの肩をもみ、事あるごとにおしんを労りつつも、おしんが何か愚痴るたびに「かあさん、今はそういう時代なんですよ」「かあさん、それじゃ仁ちゃんがかわいそうですよ」「かあさん、そんなこと言ってたらお嫁さん出てっちゃいますよ」などと優しい調子で正論ばかりぶつけてくる。
実子の仁は母親のおしんの思い通りに育たずクズな言動を繰り返し続けているし、心根の優しい養子の希望のぞみは八代家を再興したいというおしんの思いをよそに家を出て陶芸家になってしまった。しかも仁と訳ありの使用人の女性と結婚してしまうというちょっと困ったオマケ付きである。

それはそうと、スーちゃんは世界一「かあさん」という台詞を言った女優だと思うのだがどうか。
疲れたおしんを労って「かあさん」。おしんに優しい言葉をかけられそのありがたさに「かあさん」。誰かの悪口を言うおしんをなだめて「かあさん」。
「かあさん」の4文字にあらゆる感情を込めるスーちゃん。
コントのツッコミを「とうさん」の台詞だけで表現した東京03飯塚の先達だ。
1話につき5回から10回は「かあさん」と言っていた気がする。ギネス級かあさん。

さて、「マジカル・ニグロ ( Magical Negro )」という言葉がある。

典型的なマジカル・ニグロは「何らかの形で外面あるいは内面に欠陥を抱えており、差別を受けているか、身体が不自由であるか、社会的に抑圧されているかのいずれかであり、困難にある主人公を救い出し、物語を展開させる装置となる。典型的な例として、自分の過ちを見つめ直し、それを乗り越えようとする白人を手助けするという白人の主人公を救うためにある日突然現れるキャラクターを指す(ウィキペディア)。

つまり「マジカル・ニグロ」というのは、「主人公の白人を助けるためだけに活躍するお手軽な黒人キャラ」というフィクションにおける人種差別に反発する批判的な概念だ。
黒人差別問題を根深く抱えてきたアメリカの事情を思えば気軽に言い換えなどしてはいけないのだが、「おしん」における「マジカル・ババア」問題についてふと考える。

・酒田の奉公先の大奥様、八代くに(長岡輝子)
・東京の髪結の師匠、長谷川たか(渡辺美佐子)
・伊勢の網元、神山ひさ(赤木春恵)

この3人が「おしん」における「マジカル・ババア」である。
彼女達がおしんの窮地を陰になり日向になり助けてくれていた。

無論おしんを救ってくれた男性キャラもいるのだが、この時代のドラマにおいて男女の関係はひどくシンプルで「恋心」とか「下心」的なモノを抜きに考えにくいので、「マジカル・ジジイ」や「マジカル・アニキ」や「マジカル・ガッツ」はひとまず除外したい。

お金や人脈に恵まれ、おしんが困ると都合よく助けてくれるマジカル・ババア達の存在なくしては、このドラマは成立しない。
「どうしておしんにばかりそんなに良くしてくれるの?」というような描写がチラホラあるのだが、それは「おしんが腕がたつから」とか「気配りができる子だから」とか「がんばり屋さんだから」という理由があり、さらにはマジカル・ババアを演じている女優達の重厚な名演技もあって、見ている私は「うまくいってよかったよかった」と思ってしまうのだ。

そして、おしんが年老いた今、マジカル・ババア達はドラマから去ってしまった。
貴重な話をしてくれたり重要な人物を紹介してくれたりポンとお金を出してくれたりして、おしんの悩みを鮮やかに解決してくれるチートなマジカル・ババアはもういない。

おしんは佃煮にするほど様々な経験を積んできたというのに、彼女はいまだに長男に比べて可愛げのない次男への不満だの嫁姑のいざこざだのお金の算段だのという日々の自分の生活に追われている。
思えば、田中おしんは義理人情に厚い心根の温かい人物だったのに、乙羽おしんの頭の中は「店を大きくする」「初ちゃんの幸せ」「お加代様との約束」の3点で占められているのだ。

マジカル・ババア達がいなくなったからおしんは孤独になったのか。
もちろんそれもある。
だが、おしん自身が加賀屋の大奥様のようなマジカル・ババアになっていないことが、今のおしんの孤独感を深めているのだと思う。

「おしん」は孫の圭と二人で思い出の地を巡りながら、これまでの人生を振り返るという構成のドラマだ。
この旅が終わるまでにおしんの孤独は解消されるのか、他者のためにマジカルなパワーを発揮する幸福なババアになれるのか、残りの20数話を粛々と見守っていこうと思う。【み】

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