「とと姉ちゃん」第5週「常子、新種を発見する」(2016年5月2日〜5月7日/NHK)。
またもや小橋家に事件勃発。干しておいた鞠子の制服がない!
それを妹に打ち明けられた常子はどうしたか。なんと仕事中の親方に制服の行方を知らないか尋ねるのだった。女学生が身につける制服である。盗まれたにせよしまい忘れたにせよ成人男性の耳にはあまり入れたくない話じゃなかろうか。まず母親にこっそり相談、次に同世代の富江さん、そして照代さん、最後に大女将…という順序が自然だと思う。さらにこれで埒があかなかったら意を決して親方。年の近い浜野謙太には恥ずかしいから絶対に聞かせたくない。
ところが三姉妹は真っ先に親方に相談してしまった。しかも日頃は堅物そうな親方が浜野謙太に向かってとんでもない冗談を言うのだ。
いつだったか浜野謙太が「女学校の制服っていいもんですね」と言ったのを覚えていた親方。「まさか…お前か? だってお前、前に…。『制服っていいですね』とか言ってニタニタ、ニタニタ、ニタニタ…」。
「だからって何であっしが制服を?」驚く浜野謙太。
続けて「そういう性分なんだろ? 女の格好をして喜びを感じる性分なんだろ?」と親方。さらに駄目押しでお下げ髪に制服姿の浜野謙太のイメージが挿入される。
人気お笑い芸人が制服絡みの事件で逮捕されたのは2015年12月26日。ドラマがクランクインしたのが2015年11月9日。事件の記憶が薄れるにしては時期が近すぎるし、脚本の書き換えや撮影仕直しするならギリギリ間に合いそうな時期だと思う。
「なくなった制服を知りませんか」「知らないな、オフクロに聞いてみな」程度でサラっと流していいシーンなのに、何も今こんな面白くもないシーンを無理に押し込まなくても。女装した浜野謙太を嗤うという下品な演出にも困ったものだ。
そんな荒っぽいスタートの今週の「とと姉ちゃん」。
制服紛失に続いて、常子の洋裁自慢→常子が富江さんを連れて制服姿で浅草の繁華街へ→常子がお寺の境内で学生に抱きつかれる→学生を森田屋に連れ帰る→学生の星野が帝大生と聞いて一同歓待→星野の新種の植物発見に協力するため青柳家へ→清はあんなダメな感じのボンボンなのに家業だけは出来るという謎の設定を突然証明→無事新種発見→その植物は既に他の人が発見していたという記事を鞠子が古新聞で見つける→気絶した星野を常子が赤だしの味噌汁で慰める…という一週間。
ビリビリに破けていた制服をミシンでちょちょいのちょいと直してしまう常子。制服って生地が厚いし裏地もしっかりついていて割と扱いにくいのにね。すごいぞ常子。
それだけの技術があったら浜松から持ってきた壊れたミシンを直して内職で小橋家の家計を助ければいいと思う。
森田屋の仕事をサボってまで試験で一番を目指すのは何かおかしいよね。学校の成績なんてそこそこでいいじゃないの。そんな時間があったら内職に励もう。
まだ東京の土地勘がなさそうなのに地元っ子の富江を浅草にアテンドしてしまう常子。
森田屋と女学校の往復の日々を送っているのにね。いくら忙しく働く富江だって子供の頃に一度くらいは浅草にカツドウか何か連れていってもらってるだろうにね。
女の子二人で制服でキョロキョロしながら歩いていたら家出人と間違われておまわりさんに声をかけられそうだよ。悪い人に甘い言葉で誘われて売りとばされる可能性だってあったのに小橋家も森田家も娘の躾がフリーダムすぎ。
星野が飛騨高山出身だと聞いていたので赤味噌を選んだという常子。
常子は浜松出身だから岐阜はお隣だけれど、マスコミも情報網も今ほどは発達していないのに飛騨高山で使われている味噌の種類を知っていた常子は情報通。味噌汁を一口飲んで「これは…。母のと同じだ…」と言った星野も褒め上手。
江戸っ子の森田屋の厨房に赤味噌が常備してあったのも不思議。
ことほど左様に常子が巻き起こす腑に落ちない言動のすべてが成功譚として語られてしまうのが、このドラマ最大の欠点だと思う。
何が起こっても常子のヒラメキとまわりの大人達の手厚いフォローで万事大成功。厳しく叱責されて泣いたり世の理不尽に怒ったり挫折して嘆く可哀想な常子も見てみたい。
おっちょこちょいの出来の悪い子なのか何でも実現してしまうスーパーウーマンなのかよくわからない常子が「どうしたもんじゃろのぉ〜」とヘラヘラしているといつの間にか問題解決というパターンばかりでは、カタルシスが得られないし主人公に感情移入しにくいよね。
ちなみに劇中映し出された古新聞の記事によると、新種の植物を発見した人物はあの有名な牧野富太郎である。昭和10年の帝大生が牧野富太郎の新種発見ニュースを知らなかったというのはいかがなものか。もしやもぐりの帝大生?
ウィキペディアの牧野富太郎のページには「発見した新種の笹に翌年亡くなった妻の名をとって『スエコザサ』と名付けた」というエピソードが紹介されており、これが星野の「新種を発見した暁には、両親の名前をその植物に付けたいと思っております」という台詞のヒントになっているのかもしれない。
ところで「母の作った味噌汁と同じ味だ」を略した「母のと同じ」 という語法はとても新しいものに聞こえるのだけれど、国語や文法に詳しい方、戦前の飛騨高山の人々や帝大生がこういう言い方をしていたかどうかご存知だったら教えてください。【み】