テレビをこじらせた東京福袋が書いたノンキなテレビコラム集。

NHK大河ドラマ「篤姫」第1回

桜島

学芸会みたいな演技で全てを台なしにするタレントやメリハリのない平板な安っぽい照明を見るのが嫌で、ここしばらく大河ドラマからは遠ざかっていたのだけれど、なんといっても今年は大奥ものだ。見逃すわけにはいかぬ。

たとえば、過去にフジテレビ系で連続ドラマとして「大奥」は5シリーズ放送されているが、浪花千栄子がひたすら恐ろしい1968年版がベストだけど、1983年版の鹿賀丈史ののほほんとした吉宗ぶりもなかなか味わい深い。「美味でござります」を筆頭とした漫画的な演出や拙い演技に閉口しつつも、2003年、2004年、2005年版も結局全話見た。
厳しい掟があり、それぞれの役目、着るもの、喋り方などがきっちり決まっている狭い場所であり、出入りする男性は将軍とごく限られた人物のみ。だが、その枠の中であればなんでもありなのが、大奥ものの魅力である。
江戸時代は長い上に、隠れキリシタン、吉原、お犬様、歌舞伎、四十七士、公家、黒船等々、扱えるエピソードもバラエティに富んでいる。

さて、今年の大河の主人公は、タイトル通り天璋院篤子(宮﨑あおい)。13代将軍家定の正室だ。
フジテレビ系の「大奥」1968年版では三田佳子→北城眞紀子、1983年版では小林麻美→三林京子、2003年版では菅野美穂が演じている。
天璋院篤姫もののポイントは、時代が幕末の動乱期なので大奥の中の女同士の争いだけではなく政治向きの話も多く扱えること。西郷どんとか勝海舟とかペリーとか、おなじみの幕末期の有名人をいくらでも出すことが出来る。

また、天璋院篤姫は鹿児島から将軍家に嫁いできた姫なので、「じゃっどん」とか「ごわもす」といったナイスな薩摩弁が多用されるのも見逃せないところである。
ところが、昨日見た「篤姫」第1回は、主な舞台が鹿児島だったのにも関わらず、皆、ほとんど標準語で喋っていた。参勤交代もある殿様やその近臣はともかく、鹿児島で暮らしている家族や家臣達はどっぷり薩摩弁を使っていたんじゃないのかなあ。
無論、俳優達のイントネーションは薩摩弁風だったし(特に篤姫付きの女中役の佐々木すみ江)、ナマの薩摩弁を使うと何を言っているかわかりにくいという事情もあろう。それでも私は薩摩が聞きたかった。少女時代の篤姫を演じる可憐な子役が「たもんせ」とか言うところが見たかったんだよう。
薩摩弁の台詞なら、篤姫の実父役の長塚京三だって、普段の胃弱そうなイメージではなく薩摩隼人らしい豪放磊落な感じが出たはずである。

もうひとつ残念だったこと。
篤姫は幼い頃はお転婆だったというエピソードのひとつとして、浜辺を散歩している時、突然、海に入ってしまうというシーンがあった。
草履を脱いで裾を軽くめくって海に入ったのだけれど、足袋は脱がずにジャブジャブ。しかも、着物の裾をしっかり絡げずに入っていったものだから、波と戯れている間にずるずる裾が落ちてきてだらしないことこの上なし。長い袂も水に浸かっているじゃないか。

欧米の映画やドラマを見てよく感じることなのだが、彼らは海や川に靴のまま入っていくことが多い。こういう時、日本の映画やドラマでは、靴も靴下も脱ぎ、ズボンの裾はめくり上げて水に入っていくのである。もし、長いスカートなら裾をつまんで、裾が濡れないようにする。
日本が高温多湿のせいなのか、とにかく裾は濡らしたくないのである。裾が濡れると気持ちが悪い。
ちょっと昔の娘なら、着物の裾をまくって帯にはさんで止めるとか、腕を軽く回転させて袂が水に浸らないようにするといった動作は、ごく自然に出来ていたと思う。また、お転婆だろうがなんだろうが、厳しく躾されているはずの島津家の姫が、白い足袋を履いたままで海に飛び込んでいくというのはどうも納得いかん。

そんな残念な第1回なわけだが、篤姫の実母役の樋口可南子は美しいし、島津斉彬役の高橋英樹は明るくておおらかな感じが良い。13代将軍役の斉木しげるはちょっと笑っちゃうとか、どう見ても西洋人の血を引く容貌の草刈正雄を特別な意味なしにキャスティングするのは昔から違和感があったとか、気になることはいろいろあるけど、文句言いながらもおいどんは1年間見てしまいそうな気がするのでごわす。【み】