突然で恐縮だが、ドリフはすごい。
かなり少なく見積もっても、今、日本で生活している人間の8割はドリフを認知しているのではないだろうか。
「全員集合」が始まったのが昭和45年頃(手元の資料「ラテ番図鑑」「昭和のTVバラエティ」をあたったが、なぜか正確な開始年がわからなかった)。
その頃ドリフに熱中していた子供は現在30代から40代になっている。
土曜8時といえば家族揃ってテレビを見る時間帯だ。ということは、その親の世代、三世代同居ならそのまた親の世代も、子供たちと一緒になって「ちょっとだけヨ」だの「なんだばかやろう」だのを見ていたことになる。そして、今にいたるまでドリフ(および志村けん)は子供たちを魅了しつづけているのである。
ドリフの笑いというのは非常に原始的かつ直接的なので、年端もいかぬ赤ん坊すらTVにドリフが映ると大喜びするわけで、つまりは0歳から60〜70歳代までドリフを見ていることになる。
国民総ドリフ世代。これは相当にすごいことなんじゃなかろうか。
私は昭和37年生まれなので、初期ドリフ世代の一員になるわけだが、当時ですら、下ネタの多い「ベタ」なネタや学校コントや家庭コントなどの衣装(白いハイソックス!)には、子供心に「ちょっとださいんじゃないかなあ」と思っていたものだが(当時は「ださい」という表現はなかったけれども)、ドリフはいまだにそのスタイルを頑固に押し通している。こうなると、すでに「ださい」だの「かっこわるい」だのを超越して、言ってみれば様式美の世界である。
ギリギリで「シャボン玉ホリデー」に間に合った私はギリギリのクレージー世代でもある。だからハナ肇が死んだ時は確かに悲しかった。しかし、もうクレージーは現役のグループではなく、メンバーが揃って昔のような「お笑い」を演じてくれる機会は殆どなかった。つまりハナ氏が亡くなる前に、コメディグループとしてのクレージーキャッツはすでに「死んで」いたわけである。
しかし、ドリフは今でもバリバリの現役だ。いまだに毎月「ドリフ大爆笑」で昔ながらのコントを演じる彼らに会うことができる。
と、前ふりが非常に長くなってしまったが、ここから本題。
今でもドリフのフルメンバーに会える貴重な番組「ドリフ大爆笑’95」が、今晩(9/12)放映されるが、テレビ欄を見ると、コントのタイトルがまたスゴイ。
「ブーのマル秘温泉旅行」。いや、別に秘密にしなくたってねえ。高木ブーさんには、何も気にせず、ゆっくりと温泉につかっていただきたいものである。
「茶とけんの対決・裸の巌流島」。今どき宮本武蔵なんてテレビでやるのは正月のテレビ東京かドリフくらいのものである。こうして子供たちに日本の伝統は脈々と受け継がれていくのであろう。やっぱり「遅いぞ、武蔵」っていうお決まりのセリフが出るんだろうなあ。
そして、なんといっても心を打たれたのが、次のタイトル。
「長介の木魚で次行ってみよう」
どうだ、貴方もドリフ世代なら、このタイトルを見るだけで心躍る思いがするだろう。内容なんてどうでもいいのである。「長介」で「木魚」で「次行ってみよう」なんだから、何も心配はいらない。番組なんか見なくなってこのタイトルを見ただけで、「ああ、ドリフは健在だ」と明日への活力がみなぎってこようというものである。
いかりやさん始めドリフの皆さん。健康には充分注意して、どうぞいつまでも元気で我々にコントを見せてください。メイクなしで「神様コント」ができるくらい長生きしてください、ほんとに。【み】