ミュージカル「星の王子さま」見聞記

2000年8月12日土曜日。初台・新国立劇場中劇場。
茂森あゆみの初めての舞台「トリビュート音楽座『星の王子さま’95』」。
百万の賛辞も百万の批評も要らない。
茂森あゆみの純粋無垢な魂に触れられる舞台。
この一言に尽きる。

6年にわたり「おかあさんといっしょ」で歌のおねえさんを務め、番組やイベントでさまざまな歌を唄ってきた茂森。1999年3月に「おかあさん」を卒業した後は、テレビドラマ、映画、ナレーターなど、女優としても活躍してきたわけだが、演技者としてはまだ2年生だ。
そんな彼女の初めての舞台。しかも主演の「王子さま」役を演じるという。
茂森ファンとしては楽しみな反面、おおいに不安である。
台詞が棒読みだったらどうしよう。ぎくしゃくした動きだったらどうしよう。
見ているこちらが恥ずかしくなるような芝居というのがある。
演技者が大根だったり、あまりに熱演すぎたり、本が稚拙だったり、演出があざとかったり。
映画と違って舞台というのは生身の人間がやっているものだから、公演中に席を立つのは憚られるものだ。だから、そんな時は、うつむいて時が過ぎるのをじっと待つしかない。
今回の舞台の相手役は、日本を代表するミュージカル俳優の1人である市村正親。大ベテランの市村を相手にいきなり主役の王子を演じるというのだから、無謀なチャレンジといってもいいだろう。

しかし、それは全くの杞憂であった。
「ひつじのえをかいて」という茂森の最初の台詞を聞いた瞬間、私はこのミュージカルの成功を確信した。
そこには金色の髪の毛を持つあどけない少年がいたのである。
年齢も性別も国籍も演技力も歌唱力もなにもかも超越した存在。
普段の茂森よりもかなり低いトーンの声。
歌のキーも低めで、ソプラノの茂森には少々唄いにくそうである。
だが、からっぽの広々とした舞台を縦横無尽に走り回り、時にしゃがみこみ、時に寝ころび、笑い、泣く。

一幕ラストは茂森のソロ。
金色の髪がライトを浴びてキラキラと輝き、顎を上げて背筋を伸ばし、両足を広げて立つ凛々しい姿。ほとばしるような豊かな声。
私は不覚にも涙が止まらなかった。

王子が1人で住んでいる星に、ある朝、一輪の薔薇の花が咲き、王子は美しい薔薇の花に恋してしまう。
幼いなりに精一杯の愛情を伝える王子。気まぐれな薔薇の花の一言一言に敏感に反応する演技が素晴らしい。
薔薇の芳しい香りを吸い込み、頬を緩めてくにゃくにゃと寝転ぶその姿は、恋する男の子そのものだ。王子の薔薇に恋する一途な気持ちが気恥ずかしく、愛らしく、微笑ましい。

地球にやってきた王子が林檎の木の下で出会ったのは、人間に怯えるキツネだ。
ニワトリを追い、人間に追われるだけの日々に退屈するキツネは、突然現れた王子に「ともだちができたら毎日が楽しくなるだろう」と言う。もちろん、王子に異論はない。1人と1匹は「ともだち」になるべく、一歩一歩距離を縮めていく。
かけがえのない「ともだち」になった二人だが、やがて別れの時がくる。
「自分の星に帰って薔薇の花にしてやらなくちゃならないことがある」と、キツネに告げる王子。
王子とキツネが出会ってから仲良くなるまでのステップは、恋する男女が愛を深めていくシーンを見るようだ(おそらくこのキツネはオスだろうが)。
自分はパンを食べないから小麦を見ても今まで何とも思わなかったが、これからは金色に輝く小麦畑を見るたび、王子の金色の髪を思い出すだろう……キツネの健気な別れの台詞が切ない。

飛行士に身の上ばなしをした王子は、ヘビの力を借りて(毒蛇に噛まれて死ぬことで?)星へ帰っていく。またしても別れだ。
飛行士が王子を見つめる暖かい目は、「失われた少年時代を愛おしむ大人の目」であると同時に、キツネ同様、恋する男の目にも感じられた。
王子が飛行士に贈った別れのプレゼントは、無邪気な笑い声。これから夜空にまたたく星たちを見るたび、星が笑っているように見えるから。辛いことがあっても、夜空を見上げれば愉快な気分になれるから。
王子の説明を聞き、微妙な表情で「それは、面白いな」という飛行士。これまた切ない。

飛行士役の市村正親は演技力や歌唱力は無論のこと、見る者をひきつける愛嬌がある。捨て台詞に味がある。
カーテンコールでは長いマントを羽織って登場した茂森王子。マントの裾を市村に引っ張られて後ろに下がる仕草が誠にキュート。
8月20日の東京公演千秋楽(赤坂ACTシアター)で観た時は、感極まったのか、一瞬涙ぐんだように見えた。その後、茂森が一人で前に出て挨拶をしそうな素振りを見せたのだが、残念ながら照れたように笑ってそのまま下がってしまった。

初舞台にして初主演。誰もが知っている名作。音楽座初演時から評価の高かったステージでもある。プレッシャーがかからないはずはないのだが、しなやかで素直な演技と歌唱で期待に見事応えた茂森と、それを支えたスタッフに心から敬意を表したい。【み】

もくじ