このブログでは、主に昭和期に製作された英映画社 (1927-2009) の作品およびチラシの画像を紹介しています。古い資料が多く文字がつぶれて読みにくい箇所があるため、文字起こししたテキストを添えています。
なお、当時と現在では考え方やさまざまな環境が違うこともあり、今見ると非常識に思える部分がありますが、歴史的な資料として、誤字や旧仮名遣い等も含めできるだけそのままの形で掲載しておりますことをあらかじめご了解ください。また、掲載されている住所や連絡先は当時のものですのでご注意ください。
データ
伝統工芸の名匠
「山田 貢の友禅 —凪—」
1995(平成7)年
企画:ポーラ伝統文化振興財団
製作:株式会社 英映画社
カラー34分
文部省選定
文化庁優秀映画作品賞
芸術祭優秀賞
監修 | 北村哲郎 |
協力 | 岐阜市 名和昆虫博物館 松坂屋 三越資料館 |
製作 | 宮下英一 |
脚本演出 | 松川八洲雄 |
撮影 | 小林治 |
照明 | 前田基男 |
音響録音 | 加藤一郎 |
ナレーター | 寺尾聰 |
演出助手 | 日向寺太郎、嘉本哲也 |
撮影助手 | 多田勉、百瀬修司 |
ネガ整理 | 福井千賀子 |
現像 | IMAGICA |
タイトル | 菁映社 |
ラヴェル「ダフニスとクロエ」より
指揮/エルネスト・アンセルメ 演奏/スイス・ロマンド管弦楽団
チラシ
チラシのテキスト(文字起こし)
文明の崩壊した後の凪
松川八洲雄(映画監督)
東京世田谷の大原交差点といったら、騒音と空気の汚染の一番酷い所として有名でした。多分今でもそうでしょう。その交差点に面した自動車修理工場の裏に、友禅の人間国宝である山田さんは半世紀以上住んでいる……というところからぼくらはこの記録を始めました。その、 第二次大戦の終戦後に建てられたままの家の、ベニア張りの大きな机の前が山田さんの座るところで、ですから照明はそこを照らすだけで良く、カメラもまたその指先のサインペンや青花の汁の筆先を撮るしかなかったのです。
そうして息詰まる撮影の最後に、交差点の脇のビルの屋上に上がりました。排気ガスの海から首を出すと、西に富士山が見え(る筈でした)、東に新宿の副都心の超高層ビル群が聳えて望めます。そして1909年に「走る自動車は(ルーブルにある有名な)ギリシャのニケの彫像より美しい……」と”騒音とスピードを愛する”未来派の詩人マリネッテイの宣言したように、下からは騒音と、スピードが出せないためにイライラした警笛が湧き上がっていました。 突然、 僕もまた一面家々のひしめく中に聳える副都心の超高層ビル群が「ニケの彫像より美しく」思えたのです。
そこでハッと気付きました。その光景は山田さんが、つい今しがた水洗いしたばかりの網干し風景、名付けて『凪』と何と似ていたことでしょう。それはまた否応なく、崩壊したヨーロッパを描いたシュールレアリスト、マックス・エルンストの絵を思いださせたのです。こうして意識しようとしまいと、山田さんは正しく現代の作家に他なりません。
この映画はその山田さんへのオマージュでもあります。
「山田 貢の友禅」に寄せて
北村哲郎(工芸評論家)
今は数少なくなった自らの手で、使いやすい材料や道具を整える物作りの基本を、この映画は見せてくれます。
また糸目糊は単に防染のためだけでなく、日本画の表現にとって最も重要な要素となっている線描と、同じ意味をもっていることを再認識させてくれます。
単純作業にみえる糊置きをする山田さんの表情は、その仕事のきびしさを何よりもよく物語っています。
染色の仕事としてだけでなく、物作りのきびしさをぜひ知って頂きたいと思います。そして、手仕事の尊さも合わせてご認識頂ければ、黙々と手仕事にたずさわっておられる方々とともに、大変うれしく存じます。
人間国宝・山田 貢さんは(東京世田谷区在住)明治45年岐阜市に生れる。中村勝馬に師事、友禅の技法を習得。以後友禅の研究と制作を極める。作風はスケッチなどからイメージした松文、麦穂文、網干文、波文、巴文を題材に伝統的な糧糊による糸目、せき出し、叩きの各糊を巧みに用いて表現する。特に力強い線の構成による大胆にして簡明な意匠は、清新な色調により現代感覚の中に優雅な味わいを漂わせている。