このブログでは、主に昭和期に製作された英映画社 (1927-2009) の作品およびチラシの画像を紹介しています。古い資料が多く文字がつぶれて読みにくい箇所があるため、文字起こししたテキストを添えています。
なお、当時と現在では考え方やさまざまな環境が違うこともあり、今見ると非常識に思える部分がありますが、歴史的な資料として、誤字や旧仮名遣い等も含めできるだけそのままの形で掲載しておりますことをあらかじめご了解ください。また、掲載されている住所や連絡先は当時のものですのでご注意ください。
データ
「スラム」
——住宅地区改良事業の記録——
1962(昭和37)年
監修:建設省
製作:株式会社 英映画社
カラー35分
製作 | 高橋銀三郎 |
脚本 | 荒井英郎 |
監督 | 荒井英郎 |
撮影 | 江馬民雄 |
音楽 | 一柳慧、高橋悠治 |
録音 | 田中義造 |
解説 | 戸浦睦宏 |
動画
NPO法人科学映像館様が配信しているYouTube動画へのリンクです
チラシ
チラシのテキスト(文字起こし)
概要
都市のあるところ、その繁華な発展のかげに、暗い谷間であるスラムが必ず生み出されてくる。
スラム…………
それは、迷路のような路地の奥に、行き場のない貧困に閉じこめられ、どす黒い敵意に満ちて立ちすくんでいる。
そのスラムの実態に、カメラは勇敢な肉薄を試みる。——果してカメラはその内側にはいりこむことが出来るだろうか。カメラの即物的な眼が、その実態をたち切り得るだろうか。
スラムをつくるいろいろな形——
かっては盛んであったが、時代の発展に取り残され、老朽化し不良化した街並。騒音・煤煙・悪臭と、今はすっかり環境悪化した工場地帯の棟割長屋群。次第に出稼人、貧困者を吸収して、ふくれあがってゆくドヤ街。戦後十数年を経て、そのまゝスラム化した旧軍施設などの転用住宅。敗戦の生んだバラック住宅。土手の上、橋の下と、所を嫌わず生まれてくる不法占拠の仮小屋。
これでも人間の住む所かと思われるような、こうした劣悪な環境にも、人々は生きぬこうとする。せまい家の外にまではみ出した生活の諸道具。
一つ屋根をしきって四世帯が住む。一間だけの家を出来るだけ巧みに使いこなそうとする技術。生活のエネルギー。
だが、排水溝もなく、汚水は路上にあふれる。お粗末な共同便所、その便所と並んで炊事場。食慾と排泄が隣り合わせだ。だが人々はそれにも平然とするようになる。考えようによれば、こんな住み易い所はないかも知れない。その食生活、買い物はごく安直、お互いに隠す必要のない、あけっぱなしの仲間意識——スラムは貧乏という名の糸で結ばれている。
こゝに住むのはみんな労仂者だ。その仕事も、こゝに居れば手近にある。しかし仕事と言っても、港湾や建築関係の労仂者、バタ屋などが多い。大きな工場や、会社などの安定した勤め口は、その住所を言ったゞけでも敬遠されてしまうことがある。貧乏……貧乏だからスラムに住む……そういうスラムの住人だから、相手になれない……だからますます貧乏になる。この悪循環の先にあるものは何だろう。この悪循環を断つ環は何処だろうか。激しい労仂のあとの疲労感と、むくいられぬ孤独感をごまかすためにアルコールがほしくなる。ギャンブルが魅力になる。こういう環境は、一般社会との断絶をますます深めてしまうことになる。
しかし、これはスラムの一断面である。こゝに住むのは賢明に仂き、平和にくらし、よりよい生活をつかもうと努力している善意の人々である。たゞ、そのさゝやかな努力を押しつぶす危険が絶えず存在している。
都市は一日一日大きな足取りで躍進してゆく。スラムは今やこゝに住む人々自身の問題ばかりでなく、発展する都市自体のガンとなっているのだ。都市更新の大きな視点から見れば、スラムは直ちに消え去らねばならぬだろう。だが、こゝに根を下ろし、生きてきた人々の生活は一体どうしたらいゝのだろうか。
映画は最後に、こうして始まった住宅地区改良事業の実情と、改良鉄筋住宅の建設、スラムからの引越しを見せる。しかし、事業は今始まったばかりだ。まだ大部分の人々が、依然としてあの暗い都会の谷間に住みつゞけて、安心できる環境を切に望んでいることを、強くうったえて終ろうとする。