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佐久間ダム建設記録(第二部)

佐久間ダム建設記録(第二部)

このブログでは、主に昭和期に製作された英映画社 (1927-2009) の作品およびチラシの画像を紹介しています。古い資料が多く文字がつぶれて読みにくい箇所があるため、文字起こししたテキストを添えています。
なお、当時と現在では考え方やさまざまな環境が違うこともあり、今見ると非常識に思える部分がありますが、歴史的な資料として、誤字や旧仮名遣い等も含めできるだけそのままの形で掲載しておりますことをあらかじめご了解ください。また、掲載されている住所や連絡先は当時のものですのでご注意ください。

目次

データ

1956

「佐久間ダム建設記録(第二部)」

1956(昭和31)年
企画:株式会社 間組
製作:株式会社 英映画社
白黒59分

製作高橋銀三郎
演出赤佐政治
撮影守部甫
録音安倍恒雄
作曲小沢直与志
演奏日本ビクター管弦楽団
解説高橋博

建設大臣賞
文部省選定
全日本PR映画コンクール最高賞
1955年教育映画祭入賞

動画

NPO法人科学映像館様が配信しているYouTube動画へのリンクです

チラシ

佐久間ダム建設記録(第二部)

チラシのテキスト(文字起こし)

まえがき

 この映画は一昨年の春に完成された“「佐久間ダム建設記録」第一部”に引続き製作されたものであります。
 第一部は昭和二十八年の春より二十九年の暮までの間、主として準備工事及掘削を主題としていますが、此の第二部は三十年一月より行われた、ダムのコンクリート打設より一、二、三次湛水を含めた現在までの約一年二ヶ月の間の記録がえがかれています。

内容のあらまし

 人跡未踏の峡谷をきり拓き、天竜川の流れを二本の仮排水トンネルに変え、両岸を六十万」立方米掘削し、あらゆる準備工事に近代土木技術の粋を結集、延二百五十万人を動員した過去一年八ヶ月………待ちに待つたダムコンクリート打設開始の日が来た。
 昭和三十年一月十八日———高さ丸ビルの五倍、百五十米の佐久間大堰提コンクリート打設工事はかくして始まつたのである。
 コンクリートの打設にはその硬化熱がさめ易い様にあらゆる技術と工夫が行われ、更にコンクリートを打設場所に運ぶ二十五トンケーブルクレーン。ダムの形を作る型枠や、コンクリートをしめかためるバイブレーター等コンクリート打設の高度の機械力が駆使され、ダムは日一日とその高さを増して行く。
 そして春も夏もまたたく間に過ぎ、上流水没地帯の移転のときも次第に近づいてくる。
 工事開始以来三度迎える台風の季節………しかし、ダムは高さを増し、天竜の流れもその暴威をふるうことは出来なくなつた。
 二百十日も無事にすぎ、秋も深まる頃、水没地区では引越しや家々の取こわしがはじまる。
 だが、一方では新らしく付替えられた飯田線の開通式が沿線住民の歓呼のうちに行われた。
 ダムの上流地帯には、もはや人影も見えない。
 こうして新らしい歴史の一頁が開かれる。
 昭和三十五年十二月六日午前四時八分。仮排水トンネルのゲートが静かに降下し、第一次湛水が感激のうちに行われ、天竜川の流れは再びせきとめられた。
 更に昭和三十年二月五日、第二次湛水が、続いて3月十六日、大惨事湛水が行われた。諏訪湖の二倍、三億二千万トンの水量をたたえるには下流地帯の用水をたやさぬ様に第一次・第二次・第三次そして第四次とその湛水方法に工夫と苦心が払われねばならない。
 目に見えず、上流地帯は刻々と水かさを増し、次第にその古き姿は湖底に沈んでゆく。
 三月十九日、未明から降り出した豪雨は翌二十日になつても振り止まず、水かさは一気に増し、大堰堤には満々と水がたたえられた。
 そして、二十一日夜明け、遂にその水はダム上部より飛瀑となつて流れ落ちた。
 かくして、人々の待ちに待つた佐久間ダム発電開始の時がやつて来たのである。

人間的な記録映画 飯田心美

「佐久間ダム建設記録」第二部が主として準備工事に力点をおいた第一部とくらべると、いよいよ本工事に足をふみいれたという印象をあたえる点でダム工事記録映画の本格的作品である。画面は昭和三十年一月から行われた大堰堤コンクリート打設工事からはじまる。岩盤の洗浄、ケーブル・クレーンのはたらきにより、混合所からはるか下方の打設場所に吊り下ろされてゆく巨大な印籠のようなコンクリート・バケツトがいままでの掘削工事とはちがった様相をつたえる。
 しかし、この映画の魅力ある点は、その本工事を語りながら、それと並行して起りつつある関係周辺の出来事をも取入れていることで、これは第一部の場合と同様に製作スタッフのひろい視野を感じさせる。その主なものは上流水没地帯の住民達の姿であり、最初立退き交渉に応じようとしなかった人々がやっと妥協してくれくれたというアナウンスのち、やがて出現する人造湖の水底になろうという故郷をあとに、住民たちは各自あたらしい生活にふみだすのだが、キャメラは取壊される山家を感傷にすぎず描きだす。大工事のかげにひそむ人間生活の明暗が、新しい路線に変った国鉄飯田線の開通祝賀式と対比して示めされる。こうした両面が配合されているのでこの記録映画には人間的な血が通うのである。後半、仮排水路トンネルがしめられ第一次、第二次、第三次の湛水で、大堰堤の排水口から水がほとばしり出るシーンはさながら飛瀑の壮観を呈し第二部の終幕にふさわしいスペクタクルとなっている。

(映画評論家)

佐久間ダムの全貌

 天竜川はその水源を長野県の諏訪湖に発し、上流部には伊那盆地をゆるやかに流れ、下流部は静岡県西部を貫流して太平洋の遠州灘にそそいでいる。中流部は激流岩を咬む峡谷で、天竜峡の絶景を造り伊那節の名調と共に天竜下りの場としてあまりに有名である。此の峡谷のつきようとする佐久間——此の地点が世紀にかがやくダム工事の行われている場所なのである。
 国鉄飯田線中部天竜駅より本流沿い約五粁上流に丸ビルの五倍、高さ百五十米のダムを作つて諏訪湖の約二倍もある人造湖とし、此の水を約一粁の隧道で発電所に導き、最大三十五万K・Wの電力を起そうとするもので、現在の重力式ダムでは世界第四位我国では勿論第一位の大堰提であるが、これをしかも三ヵ年の短時日突貫工事に依つて完成しようとするもので、戦後に於ける日本の土木技術を世界に顕揚するものとして大きな期待と注目をあびているのは当然のことである。米国のアトキンソン会社と技術締契によつてその重機械類を従横に駆使、天竜川の特異な地形や洪水量等の悪条件を克服して今や世紀の大工事は完成に向つて驀進しつつある。此の映画はそのたくましい工事記録であり美くしい建設譜でもある。

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