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にんぎょう

にんぎょう

このブログでは、主に昭和期に製作された英映画社 (1927-2009) の作品およびチラシの画像を紹介しています。古い資料が多く文字がつぶれて読みにくい箇所があるため、文字起こししたテキストを添えています。
なお、当時と現在では考え方やさまざまな環境が違うこともあり、今見ると非常識に思える部分がありますが、歴史的な資料として、誤字や旧仮名遣い等も含めできるだけそのままの形で掲載しておりますことをあらかじめご了解ください。また、掲載されている住所や連絡先は当時のものですのでご注意ください。

目次

データ

1992

シリーズ 〈伝統工芸の名匠〉
「にんぎょう」

1992(平成4)年
企画:ポーラ伝統文化振興財団
製作:株式会社 英映画社
カラー34分

文部省選定
優秀映画鑑賞会推薦

監修北村哲郎
協力野ロ園生[衣裳人形](重要無形文化財保持者)
市橋とし子[桐塑人形](重要無形文化財保持者)

文化庁
東京国立博物館
国立文楽劇場
東京都 埋蔵文化財センター
山梨 釈迦堂遺跡博物館
和歌山 淡島神社
青森 恐山
弘前 久渡寺
埼玉 笛畝人形記念美術館
岩槻 人形歴史館
京都 宝鏡寺
石川潤平
小椋久太郎
桐竹一暢
大藤晶子
大森邦
音羽菊七
神成澪
上林アイ子
後藤静夫
田中秀代
宮本又左衛門
渡部直哉
製作宮下英一
撮影小林治
照明前田基男
音楽間宮芳生
ナレーター花形恵子
演出助手長井和久
彦坂宣明
中村元
ネガ整理川岸喜美枝
録音東京テレビセンター
現像IMAGICA

チラシ

にんぎょう
にんぎょう

チラシのテキスト(文字起こし)

この映画は……
 日本ではかなり古い時代から、自然の災厄や原因の不明な病気などを、人形に託して自分たちの身代りにしたり、あるいは神を招来する霊の「依り代」にしたり、時には憎むべき相手の呪詛のための対象物などとしてきました。この映画は、「日本人にとって人形とは何か」を考えるために、縄文時代の土偶に始まり、やがて近世に至り江戸時代の爛熟した文化から生まれた様々な人形を通して、人形が日本人の精神文化における「心のイレモノ」でもあったことを探ります。更に、二人の人間国宝の人形と、その制作の様子なども紹介しながら、時代と人形の変遷にも注目したいと思います、

映画の空間と時間

映画監督 松川八洲雄

動かない人形が、はたしてムービー(動くイメージ=映画)になるものでしょうか。 人形は、少なくとも3つの空間と時間を持っています。そのことに気が付いたときこの難問は解けたのです。すなわち、
①展覧会、もしくは応接間の空間と時間。②アトリエ、もしくは仕事場の空間と時間。③その人形のイメージする空間と時間、の3つです。野ロ園生さんの人形『雨月』、市橋とし子さんの『草の上』を例にとりましょうか。
それぞれが展覧会場におかれているときは、その空間の人々のいる等身大の日常の空間と時間にほかなりません。つまりあたりまえの空間と時間、①の空間と時間です。
さてその中で近寄ってシゲシゲと眺めます。一体作者はなにをどう思って作ったのかしら……。
その時人は知らず知らずに野口園生さんや市橋とし子さんの仕事場やイメージを模索する頭の中に入っているわけです。すなわち②の仕事場の空間と時間の世界にいることになります。
そうしてあらためて人形を見ると、もはや小さな人形は消え失せ、かわりに音もなく降る雨の夜に「雨月」を探す女が見え、あるいはひろびろとした「草の上」で、手足をいっぱいに伸ばして遠くを見つめる少女の姿が見えます。③の空間と時間です。
人形を見る、というとき、実は私たちはこの3つの空間と時間を行き来していろいろなものを思ったり、感動したり、つまらないなと立ち去ったりしているのです。すなわち空間や時間の旅、スペース・トリップをしているというわけです。一見動かない人形の空間と時間を並べる。すると薄い細胞膜を通して隣あわせた空間と時間のあいだにそれぞれの空間と時間の濃度の違いから運動がおこり、こころの動きが共振し、そうして映画の始まりから終わりへとうねりが流れます。ムソルグスキーの「展覧会の絵」は音楽での試みであり、ピカソのキュービズムは絵画での試みですが、実は人形の映画にかぎらず映画つくるときも空間や時間について考えなければならない、とぼくはずっと思い続けているのですが……。

チラシ(別バージョン)

にんぎょう
にんぎょう

チラシ(別バージョン)のテキスト(文字起こし)

製作意図

 日本ではかなり古い時代から、自然の災厄や原因の不明な病気などを、人形に託して自分たちの身代りにしたり、あるいは神を招来する霊の「依り代」にしたり、時には憎むべき相手の呪詛のための対象物などとしてきました。この映画は、「日本人にとって人形とは何か」を考えるために、縄文時代の土偶に始まり、やがて近世に至り江戸時代の爛熟した文化から生まれた様々な人形を通して、人形が日本人の精神文化における「心のイレモノ」でもあったことを探ります。更に、二人の人間国宝の人形と、その制作の様子なども紹介しながら、時代と人形の変遷にも注目したいと思います、

解説

 土で焼いた器を発明した時代から人間の暮らしは一変します。そして、土器と一緒に何気なく作った土のひとがたを火にくべました。モノを入れる入れ物と、身体やこころにまつわるもろもろの不安や災いを移すことのできるこころの入れ物。そのこころの入れ物のさまざまをこれから見てみましよう。
 寝ている間に子供のたましいが飛び去らないようにと、親たちが作った天児 (あまがつ)や這子(ほうこ)と呼ばれる人形、女の子の成長を祝う雛祭り、京の都で生まれた御所人形。これら人形を生み出す職人は正にたましいを扱っていたのです。人形の産地、岩槻市に住む石川潤平さんもその一人です。その職人芸が花開く江戸時代。
 人形を動かしたいという欲求も生まれます。首を振る童子や文楽人形。動かすだけでなく、命を、たましいを…………。
 京都で育まれた文明とともに、人形も日本全国に行き渡ります。人形は遠い都の情報でもあったのです。一方、700年ほど前から皇族の姫君が代々出家入山されている尼寺、京都の宝鏡寺には、幼い姫君が肌身離さなかった人形が今も残っています。人形の住む人形寺。
 市橋とし子さん(1907年〜)は古い因習の中で苦労されながら、新しい女性像を人形に託します。素足の、しっかりと前を見る女性たち。「知秋」「草の上」 「風薰る」「無想」そして「愛」。
 野ロ園生さん(1907年〜)は江戸時代の香りをいまもなお見続けています。「はつなり」「雨月」「師走」そして「日々安穏」とその世界にするりと滑り込んでしまいます。
 小椋久太郎さんは、もう80年近くこけしを作り続けています。お椀や木の鉢を作っていた木地職人が明治に入ってから作り出した新しい郷土人形、木そのもののこけし。
 こうした人形は人のひながたの形した神、たましいの入れ物、人間の素晴らしい発明品なのです。

記録映画「にんぎょう」をみて

 映画「にんぎょう」は魅力的な作品である。縄文時代からの人形の歴史を簡明に紹介しつつ、人形の表情、人形のおかれた環境、そして人形の誕生と死までが、リアルに描かれている。その中でも、日本人形と女性文化とのかかわりをデリケートなタッチで良く伝えているところが素晴らしい。見終わってみると、人形と同じような優しい心情を持って、この映画がいつしか私たちの心にすっと入りこんでいることがわかるからである。

映画評論家 渡部 実

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