このブログでは、主に昭和期に製作された英映画社 (1927-2009) の作品およびチラシの画像を紹介しています。古い資料が多く文字がつぶれて読みにくい箇所があるため、文字起こししたテキストを添えています。
なお、当時と現在では考え方やさまざまな環境が違うこともあり、今見ると非常識に思える部分がありますが、歴史的な資料として、誤字や旧仮名遣い等も含めできるだけそのままの形で掲載しておりますことをあらかじめご了解ください。また、掲載されている住所や連絡先は当時のものですのでご注意ください。
データ
シリーズ <民俗芸能の心>
「飛騨古川祭 —起し太鼓が響く夜—」
1992(平成4)年
企画:ポーラ伝統文化振興財団
製作:株式会社 英映画社
カラー35分
文部省選定
優秀映画鑑賞会推薦
製作 | 宮下英一 |
プロデューサー | 長井貢 |
演出 | 曽田信 |
撮影 | 小林治 三角善四郎 相馬一成 |
照明 | 前田基男 北沢保夫 鎌田勉 |
撮影助手 | 長井和久 彦坂宣明 中山憲一 嘉本哲也 有賀久雄 |
解説 | 久米明 |
音楽 | 原正美 |
効果 | 小森護雄 |
タイミング | 三橋雅之 |
ネガ整理 | 川岸喜美枝 |
録音 | 読売スタジオ |
現像 | IMAGICA |
製作進行 | 内海穂高 |
協力 | 古川町 気多若宮神社 古川祭保存会 古川屋台保存会 青龍台組 麒麟台組 龍笛台組 神楽台組 三番叟組 三光台組 清曜台組 闘鶏楽組 鳳凰台組 金亀台組 白虎台組 宮本組 |
チラシ
チラシのテキスト(文字起こし)
「闇の夜の鼓動」—古川の起し大鼓—
日本伝統芸能研究所長
高橋秀雄
飛騨は日本のふるさとといわれる。山深く、水清き飛騨路には、ふるさとを思い出させる美しい風物と、やさしい人情がいまもなお生きている。
古川の町はまだ日本のふるさとの趣をよく遺してきている。高山を過ぎ、国府町を通り抜けたところが古川である。静かな町の雰囲気が旅の心をいやしてくれる。
その古川の町をわきたたせるのが、天下の奇祭として知られる古川祭りである。四月十九日の深夜の起こし太鼓と、二十日の絢爛豪華な屋台行列が人目を惹く。
四月十九日の夜の七時を過ぎると、飛騨の山間にある古川の町は、すっぽりと闇に包まれている。家々に傘付きの提灯がつけられ、その提灯の火が点々と続いて祭りの情緒を盛り立てる。やがて笛・太鼓の囃子が流れてくる。お旅所に勢揃いしていた屋台がそれぞれの町内へ帰るのである。これを曳き別れというが、屋台にも何十個という提灯が吊るされているので、屋台が曳かれるとその提灯の火がゆらゆらと揺れ、屋台の美しい飾り金具がきらめく。なんともいえぬ見事な光景が現出する。
しばしの静寂の後、午後十時からはいよいよ起し太鼓の出立ちになる。お旅所の前の櫓の上に大太鼓が据えつけられている。これを主事太鼓という。春とはいえ、山の夜はまだ寒気が残っている。あちこちに焚火が赤々と燃え、そのまわりにはさらしをまいた裸姿の青年たちがむらがっている。お祓いが済むと、二人の青年が主事太鼓にうちまたがり、白布で身体を固定させる。三百人近いといわれる裸形の青年たちが主事大鼓をかつぐため櫓の棒にとりつく。大太鼓の上に乗った青年二人が大きな撥を振りおろす。大太鼓が腹に響くように鳴り渡る。主事大鼓は若者たちの肩にかつぎあげられ、夜の街へと動きはじめる。
大太鼓の音とともに主事大鼓は町を練り歩く。行く先々の各町内の辻々では、附け大鼓を持った裸の青年たちが主事大鼓につこうとして押し寄せ、ひしめき合う。青年の肉体が躍動し、熱気がみなぎる。
明けて二十日、昨夜の騒がしさとはうって変わり、静かな屋台行列が町をいく。からくり人形のついている屋台では、精巧な糸からくりの人形戯が楽しめる。
日ごろは静かな古川の町も、この古川祭りの時には町中がなんとなく浮かれているように見える。傘付きの提灯をつけた家々の玄関。ふと気をとめてたたずんでいると、招じ入れられて酒のふるまいにあずかる。見知らぬ者にもそんなことが行われる。
土地の人々の生活に中にしみこみ、土地の人々に強く愛されてきている祭りがこの古川祭りには生きている。
古川やんちゃの誇り
曽田 信(映画監督)
飛驊の古川町で、冬、しぼりたての生酒を酌み交わしながら祭りの話を聞いた。その中で、“古川やんちゃ”という言葉が盛んにでる。
さて、古川やんちゃとはなんだろうか――?
飛驊古川の歴史は、あまり知られていないが飛驊高山よりも古い。それが古川人の自慢でもある。
古川に先ず、室町の姉小路文化が伝えられ、飛驊大名の金森氏が高山よりも早く古川に城を築き、京都に想いを馳せて町づくりをした。そして、江戸時代、幕府の天領になると江戸文化が入る。古川では、京都と江戸、ふたつの文化が見事に融合している。
その代表的なものが飛驊古川祭である。
豪華な屋台に華麗な京の文化を、豪快な起し太鼓に勇壮な江戸の文化を見ることができる。
飛驊古川祭は、4月19日の試楽祭、起し太鼓。20日の本楽祭。21日の還御祭と続く。 深夜の起し太鼓の“動”と本楽祭の屋台の“静”は劇的な空間をつくりだす。
この動と静が相和して、はじめて古川祭は成立する。このとき忘れてならないのが古川やんちゃである。
冬から春の古川祭へ古川の男衆と出会い語り合ううちに、祭りを担っているのは、まさに古川の男たちの心意気、つまり古川やんちゃであることがわかった。
気性が激しく、頑固だが、なかなかウイットに富んだ心のやさしい男たち。
祭り話になるともう止まることをしらない。付け太鼓の激しさ、喧嘩騒ぎ、反骨精神あふれるエピソードがいつまでもつづく。
「決して簡略化せず、古いしきたりを守る、それが古川祭だ!」 と語るその顔にやんちゃの誇りを見た。
私たちは、この古川やんちゃに惚れたのです。 古川祭を記録することは古川やんちゃを記録することでした。
古川の男衆が祭りに向けて、こころを昂らせるように、私たちもボルテージを上げていきました。そして、その爆発が—起し太鼓が響く夜—だったのです。