「おかあさんといっしょ」ミニミュージカル考

春と秋に行われる「おかあさんといっしょファミリーコンサート」の名物といえば、おにいさん、おねえさん、「ドレミファ・どーなっつ!」の人形たちが、有名な物語を演じる「ミニミュージカル」のコーナーであろう。

今まで「ももたろう」「シンデレラ」など、誰もが知っている有名な昔話を題材にしてきたが、98年春のファミリーコンサートのミニミュージカルは、バレエでおなじみの「白鳥の湖」であった。
タイトル曲や、4羽の白鳥が手をつないで踊る「4羽の白鳥」は、非常にポピュラーなナンバーだ。バレエの代名詞といってもよかろう。コントなどで「バレエ」をあらわす時は、頭に白い羽根をつけ、「♪た〜らららら、た〜らら〜」と唄いながら、クルクル回ればそれでOKである。
だが、私が浅学なせいかもしれないが、肝心のストーリーはよくわからないのである。

ファミリーコンサートのミニミュージカルでは、以下のような筋書きであった。

悪魔の魔法で白鳥に変身させられた娘たちがいる。その中の1人(1羽)に、とある城の王子が一目ぼれ。この白鳥の娘を人間の姿に戻すには、王子と「これからもずっと仲よくしていく」という約束をかわし、その約束を守り通せばよい。悪魔は、それを阻止すべく、自分の娘を差し向ける。悪魔の娘は白鳥の娘に化け、王子に求婚させる。それを見ていた本物の白鳥の娘は、約束が破られたことを嘆き去っていく。悪魔は「あの白鳥はもう人間には戻れない」と高笑い。こうなったら悪魔と直接対決し、魔法を解かねばならぬと王子は勇み立つが、いかんせん非力である。そこで、友人の王子に加勢を頼む。2人の王子は力を合わせ、悪魔を倒す。王子は白鳥の娘の元へ。すると、そこには魔法がとけて人間の姿に戻った娘がおり、めでたくハッピーエンド。

悪魔はなんのために娘どもを白鳥に変えたのか。魔法をとく鍵が「ずっと仲よくしていくという約束を守る」というのもヘンな話である。
無論、子供向けの舞台なので、このような表現になったのだろう。本当は「結婚」あるいは「結ばれる」とでも言いたいところであろう。それにしてもつまらぬ魔法をかけたものだ。わざわざ白鳥に変えたにもかかわらず、彼女たちは人間の言葉を喋れるのである。それじゃダメだろう。頭隠して尻隠さずだ。意味が違うか。二兎を追う者一兎も得ずか。もっと意味違ってるな。

さらに、この喋る白鳥の娘に一目ぼれしたという王子も相当なうつけ者である。
普通は惚れんだろう、白鳥には。鳥だぞ。クチバシがあって、羽根が生えてて、足に水カキついてんだぞ。
それを「カワイイ!」なんて言ってぽーっとしちゃうってのは、この王子、かなり問題ありとみた。
他人様の嗜好を云々するつもりは毛頭ないが、少なくとも鳥に一目ぼれするような王子がいる領地の民の将来は、それほど明るいものではなかろう。

とはいえ、これはファミリーコンサート用にアレンジしたバージョンゆえ、原作とはかなり違っているのかもしれない。しかし、原作がわからないため、この不条理なミュージカルが、今の私にとっての「白鳥の湖」のすべてなのである。

これがたとえばかつて演じられた「シンデレラ」の場合、「12時になってお城の舞踏会を去る時にシンデレラが自分でガラスの靴を脱いで王子の前に置いていく」というシーンを見れば、オリジナルを知っているだけにギャグとわかって笑えるわけだ。おそらく3歳の子供でも、わざとらしく靴を置くシンデレラの仕草に大笑いしていたことだろう。ところが、「白鳥の湖」では、どこがオリジナルでどこがアレンジされたシーンなのかわからないため、愉しみが半減していたように思えるのである。

バレエを長年習っていたという茂森あゆみに華麗なステップを披露させたいというスタッフの思いがあったのだろう。あるいは、バレエ少女なら誰もが夢見るオデット姫の役を演じたいという茂森の希望があったのかもしれない。
純白のチュチュとトウシューズで優雅に踊る茂森、悪魔の娘(黒鳥)に扮した松野ちかの文字通り“小悪魔的な魅力”を見ることができたのは、もちろん大収穫である。

だが、やはりミニミュージカルの題材には、誰もがなじみのある物語を使った方がいいのではないだろうか。ファミリーコンサートの主賓はなんといってもコドモである。茂森の肩甲骨の美しさにドキリとしたり、松野の美脚にゾクゾクするような我々不純なオトナどもがいくら喜んでも仕方なかろう。
コンサートの帰り道に、親と子、お婆ちゃんと孫が、「鬼が出たね」「お姫様キレイだったね」「怪獣こわかったね」などと和やかに語りあえるような、単純明解な話の方が盛り上がるというものではなかろうか。【み】

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