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ふるさとからくり風土記 —八女福島の燈籠人形—

ふるさとからくり風土記-八女福島の燈籠人形-

このブログでは、主に昭和期に製作された英映画社 (1927-2009) の作品およびチラシの画像を紹介しています。古い資料が多く文字がつぶれて読みにくい箇所があるため、文字起こししたテキストを添えています。
なお、当時と現在では考え方やさまざまな環境が違うこともあり、今見ると非常識に思える部分がありますが、歴史的な資料として、誤字や旧仮名遣い等も含めできるだけそのままの形で掲載しておりますことをあらかじめご了解ください。また、掲載されている住所や連絡先は当時のものですのでご注意ください。

目次

データ

1987

民族芸能の心
「ふるさとからくり風土記 —八女福島の燈籠人形—」

1987(昭和62)年
企画製作:ポーラ伝統文化振興財団
製作協力:株式会社 英映画社
カラー31分

芸術作品賞
文部省選定
優秀映画鑑賞会推薦
日本映画ペンクラブ推薦

監修高橋秀雄
協力文化庁文化保護部
八女市教育委員会
八女福島の燈籠人形保存会
製作宮下英一
プロデューサー長井貢
演出松川八洲雄
撮影清水良雄
照明前田基男
録音加藤一郎
効果井橋正美
解説来宮良子
撮影助手小林治
北条豊
現像IMAGICA
録音所読売スタジオ

チラシ

ふるさとからくり風土記 —八女福島の燈籠人形—
ふるさとからくり風土記 —八女福島の燈籠人形—

チラシのテキスト(文字起こし)

八女福島の燈籠人形

奉納行事として始まった頃は、氏子の各家ごとに御神燈を飾っていたが、延享元年、人形とそれを照らす燈籠を奉納するようになった。さらに明和9年、元福島組庄屋松延甚左衛門により、からくりの技術が伝えられ、現在のからくり人形の基礎ができた。

〔舞台〕
高さ8m、幅14m、奥行6mに及び、下づかい場、横づかい場、囃子場の三層で、組立て、取りこわしが自由にできるように、釘やかすがいは全く使われていない。
建物自体は金箔、銀箔、漆塗りでできており、これは、福島仏壇を造る技法の基になったと思われ、優雅さ、精巧さは文楽の人形浄瑠璃に匹敵するといわれている。

〔人形〕
細木で作られ、体の関節部分は鯨の髭をバネとして利用し、それぞれに結びつけられた糸を屈伸させて、自由に動くようになっている。

〔横づかい〕
左右各6名でかかり、左手、右手、首、体などの部分をそれぞれが担当。舞台の袖の見えない所から長い棒で突き、それが人形台取付の棒にふれて、結びつけられた糸が屈伸し、手首などが動く。横づかい人形とは足を動かさない代りに“送り渡し”を行なう。舞台の左から進んできた人形が、中央に来ると受け渡しが行なわれ、右側の横づかい場の担当者たちによって動かされる。
この操作は難事中の難事とされ、左右の呼吸があわないと、人形は台車から落ちてしまう。

〔下づかい〕
横づかい同様、6名が床下から人形の手、首、体などを操る。見物人の目にふれない床下からの操作なので、直接糸を屈伸させて人形を動かす。

〔唄と囃子・曲節〕
囃子方は、唄、太鼓、鼓など15〜16人が担当。太鼓で上演を知らせ、上演中は三味線、鼓などの囃子にあわせて地唄が唄われ、それにあわせて人形が動く。

〔公開〕
毎年、秋分の日を含めた3日間、八女市宮野町八幡宮で公開される。

解説

 八幡宮には、大きな大きな楠が天をおおって、中秋の名月が出ていても、境内はまっくらです。だから、境内に組まれた三層の人形屋台の各階の軒に、吊るせるだけの提灯をともすと、屋台はひときわ明かるく輝き、屋台そのものが鱗光を発しているのではないか、と思われるのです。その屋台の中から、タッポポタポポと陽気なお囃子が聞こえてきます。お囃子にあわせて、明かるく照らしだされた舞台の、 咲き乱れる花園にかかる橋の上で、背丈二尺たらずのお姫様が、絢爛たる衣をひるがえして舞うのです。 この人形からくり「国指定重要無形民俗文化財 八女福島の燈籠人形」が伝え残されている北九州、八女——三方をゆるやかな山脈で囲まれ、一方を有明湾に開いている理想的な地形の平野で、大陸から渡来した稲作文化が最初に定着した一帯です。古代人の古墳や遺跡も数多くみられます。この平野は稲作 生産力を背景に、さまざまなモノを自給自足し、やがて、有用の美を求める職人の町が育っていきます。 江戸期になり、製紙、製蠟が盛んになると、八幡様の氏子たちはお祭りのとき、人形燈籠を奉納する嗜好を思いつきます。やがて、大阪に人形浄瑠璃が生まれ、竹田からくりに人気が集まっているのを知り、 職人たちはたちまちからくり仕掛けを考案して、人 形を作り、不夜城の如く提灯をともして八幡様にご覧にいれようと思いたったのです。18世紀の半ばのことでした。たった一夜の、神にささげる宴のために、大工棟梁たちは工夫をこらした継手、仕口で、釘1本使わずに三層の木造屋台を組みあげ、日頃遊芸にいれあげた職人さんは、その音曲を披露し、 その囃子にのせて若い衆たちは工夫をこらしたからくり人形を操るのです。舞台の袖には、人形の後見人の名目で威儀をただした男の子が座ります。 毎年毎年、くり返される人形たちの舞いと、人々のにぎわいを、境内の大楠は静かに見続けてきたのです。そして、来年もまた…………これは日本の、日本人の心のふるさとでもあるのです。

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