テレビをこじらせた東京福袋が書いた
ノンキなコラム集

[20C-0013]週刊文春 1967年7月10日号

「20世紀バックナンバーズ」は、昭和中期頃の雑誌に掲載されていた記事を現代の視点で楽しむコレクションです。なにぶん古い雑誌から収集した記事ですので画像に汚れや破れが目立ちますが、何卒ご容赦ください。

誌名 週刊文春 7月10日号
出版社 文藝春秋
発行日 1967(昭和42)年7月10日
表紙 モデル 吉村絵梨子/撮影 秋山庄太郎

表紙モデルの吉村絵梨子は「吉村繪梨子」名義で「快獣ブースカ」第4話「ブースカ月へ行く」(1966年)や「てなもんや三度笠」第265話「石和の遭遇」(1967年)などに女優として出演していたり、フジテレビ「ライオン奥様劇場」枠のドラマ「暖流」(1967年)の挿入歌「涙の真珠」を歌っているなど、美人歌手、美人女優としてそれなりに活躍していた模様。YouTubeにシングルレコード「逢う時はいつも」の音源が上がっていたので聴いてみたところ、清楚なお嬢さん風の見た目の印象とは違った耳に絡みついてくるような独特の歌唱法であった。

トッポ・ジージョの声をめぐって

ミヤシタ昭和30年代の子ども達にとって、トッポジージョの声といったら山崎唯なのである。
「山崎唯」と書いて「やまざき・ただし」と読むのも知っていたし、テレビでちょくちょく見かけたから細くてちょっとネズミっぽい彼の風貌だって知っていたし、奥さんは久里千春ということも知っている。「♪トッポジージョの歯〜磨き出たヨ」というライオンのこどもはみがきのCMソングだって唄えたし、何ならちょっとモノマネだってしてしまうほど当時の子どもらには定着していた声なのだ。
ところが、トッポジージョを日本で映画化するにあたって、監督の市川崑はトッポジージョの声優に山崎唯ではなく中村メイコを起用してしまったのだという。いわく「山﨑の声の演技では、ぼくの映画はつくれないよ」。
いや、そりゃないよ崑。山崎も気の毒だし、山﨑の声になじんでいた子ども達も切ないよ崑。
なんといっても戦前の1937年に2歳で子役としてデビューし、以来、映画にドラマに歌手に声優にバラエティにとマルチに大活躍していた中村メイコである。一方、山崎の本職はミュージシャンだ。この時代の映画人なら、「テレビならマガイモノでも誤魔化せるかもしれないが映画はホンモノの俳優でなければ無理だ」とかなんとか言ってもおかしくない。いや、知らないけど。
「サウスパーク」とか「ザ・シンプソンズ」とか平成時代に激しく批判された“映画化すると声優が変わっちゃう問題”は、昭和時代に既に炎上していたのだった。

ヨシノ1960年生まれの私もトッポ・ジージョのテレビ番組を見ていた。声は当然山崎唯。ところが映画化にあたって中村メイコを起用されテレビ局側と映画製作者側が対立、という記事だ。調べてみると声優に中村メイコがクレジットされており、映画側が押し切った様子だ。山崎の声を拒否したのは監督の市川崑。イタリア側も関与しているようだが製作国は日本になっている。

インドが発見した「金脈」

ヨシノインドが寺院に奉納された毛髪を売って大儲け、という記事。この頃の海外トピックスの欄には情報源が明記されていないのが普通で、今読むと話の真偽が疑わしく記者が埋めぐさに書いた飛ばし記事ではないかと疑いたくなるものもある。試しのこの内容について検索してみると、「INDIATODAY」の2012年の記事がヒットした。いわく「ティルパティの寺院、2011年から2012年までに人間の毛髪のオークションでおよそ20億ルピー稼ぐ」。本当の話だったようだ。

効果音いろいろ

ヨシノ効果音用のレコードの紹介記事。確かに昔は大きなレコード屋の片隅に効果音用のレコードが並んでいた。演劇部で音響を担当していた私も使ったことがあるような気がする。

オールド・ファッションの復活

ミヤシタ右の長袖の水着のキャプションによると「マリー・クワントも地中海の田舎の村で売れ残っていた30年代の水着を買い込み愛用している」とのこと。左のドレスのキャプションは「光る靴下が宇宙時代的であることを除けば、狂乱の20年代そのまま」。レースの飾りつきの帽子もスカートの丈もフリルも靴もキュート。カラーじゃないのが残念。1920年代っぽいというより普遍的に可愛いデザイン。ラメ入りタイツを「宇宙時代的」と表現しているのが面白い。

 
¥2,860 (2022/12/06 02:06:34時点 Amazon調べ-詳細)

「それいゆ」の中原淳一の自宅拝見

ミヤシタ葦原邦子は元宝塚のトップスター。同期はやはりトップスターの春日野八千代。といっても我々の世代が知っている葦原邦子は「おっとりした奥さん」とか「やさしいおばあちゃん」的な役でホームドラマで活躍していた女優さん(「ケンちゃんシリーズ」のおばあちゃん!)。
ウィキペディアによると宝塚歌劇団在団中は「アニキ」の愛称で上級生の小夜福子や同期生の春日野と共に男役として人気を争い小夜とともに宝塚男役の頭髪のショートカット(の慣例化)の先駆けだったそうだ。カッコいい! 元祖アニキ!
ちなみに長男の中原洲一デザイン事務所勤務を経て、1969年、イスラエルに渡りキブツで肉体労働しつつヘブライ語を修得。1972年、日本に帰国。日本イスラエル親善協会理事や同事務局長を歴任。1976年から無所属の画家として活動。移住先のイスラエルで死去という波乱万丈の人生を送った人物であり、中原・葦原夫妻の娘の夫は音楽家の加古隆、その息子が俳優の加古臨王という華やかな一族なのだった。

ヨシノ「それいゆ」などで活躍した、美少女を描くイラストレーター中原淳一のお宅だ。記事には住所が明記してあるので山の手通り沿い、代々木八幡前交差点近く、現在「代々木パビリオン」というマンションがあるあたりだとわかる。航空写真で見ると山の手通りは80年代頃拡幅しているようなのでマンションと同じ場所かどうかはわからないが、仮に同じ場所だとすると70年に代々木パビリオンが完成したらしいのでこの家はこの後まもなく取り壊されたことになる。しかし万博が開催された70年に竣工したから「パビリオン」とは、はやりに乗ったネーミングではないか。

 
¥10 (2022/12/06 02:06:36時点 Amazon調べ-詳細)

「週刊文春 7月10日号」の目次