[20C-0007]平凡パンチ 1982年3月1日号

「20世紀バックナンバーズ」は、昭和中期頃の雑誌に掲載されていた記事を現代の視点で楽しむコレクションです。なにぶん古い雑誌から収集した記事ですので画像に汚れや破れが目立ちますが、何卒ご容赦ください。

誌名 平凡パンチ 3月1日号
出版社 平凡出版
発行日 1982(昭和57)年3月1日

1982年の歌舞伎町

ヨシノ「カッコだけはJ・Jギャルのニキビ、アホ面、どブスのナオンが、こんなナマなセリフを吐くようになって、何年になるだろう」「ジュクといえば新宿のこと、そう決まってたんだぜ。それが今じゃ原宿のこと。どうなってんだよ、オイ、新宿。」…ダサい。果てしなくダサい。頭悪い。82年の平凡パンチといえば私も読者の一端を担っていたが、こんなにダサかったか。
それはともかく風俗最先端情報である。現在50代のオヤジたちは当時はどんな風俗に通っていたか。この記事で紹介されているのは「ビニ本屋」「ノーパン喫茶」「サロン」「ストリップ」「ストリート・ガール」。
まず紹介されているのはコマ劇場(現新宿東宝ビル)前のビニ本屋。「発禁本もここらの書店ならたやすく手に入る。」としている。
ノーパン喫茶はこの頃はすでにピークを過ぎていたらしく、「去年の5〜7月のピーク時には、70店以上あったという…ところどころ見かける程度になってしまった。」とある。「湯上がりノーパン喫茶『ギャル・スポット』では「会話は自由、カラオケもOK、ビニ本も常備。ただ、女のコに手を触れちゃダメ。値段4000円」とのこと。コマから新宿方面に向かった東通り、さくら通りに多かったようだ。

江利チエミの訃報

ヨシノ1982年2月12日夕、熊本の公演から帰り「風邪気味なので休む」と言い残し自宅に帰った江利チエミ。自宅がある高輪ヒルズの住民によればかなり酒に酔った感じだったという。翌13日午後3時マネージャーの妻が江利宅を訪ねると彼女はベッドの上に普段着でうつ伏せになっており、吐瀉物と吐血を喉に詰まらせ窒息死していたという。享年45歳。
この頃の平凡パンチの読者は江利チエミ全盛期など知らないはずだが、「大姉御の死に心から合掌」と敬意を表している。

大島渚監督作品にボウイ出演決定

ヨシノデビッド・ボウイが大島渚監督の日英合作映画に出演! この7月からフィリピンかシンガポールでロケ決定! もちろん「戦場のメリークリスマス」のことだが、この時点では小さい扱い。ビートたけしや坂本龍一が共演することも明かされていない。

シャワーコロンのキャンペーン・ギャルズ

ミヤシタウィキペディアによると「資生堂「シャワーコロン」のCMの為、田辺エージェンシーによって集められたキャンペーンアイドルグループ」で「1981年11月にオーディションが行われ、250人の中から選ばれた7人で結成」だそうだ。1981年当時私は19歳。シャワーコロンど真ん中世代だったのだが全然記憶にない。
キャンペーンガールではなくキャンペーンギャルズ。確かにキャンガルじゃなくてキャンギャルっていうものね。

ヨシノ資生堂<シャワーコロン>キャンペーン・ギャルズ「シャワー」である。メンバーは下の写真で左から尾上千昌、中川雅世、高鹿久子、矢野有美、村上里佳子(現RIKACO)、村井美実、秋山絵梨子(現陣内孝則夫人)の7人。平均年齢17歳。「Do up・愛・ing(ラヴィング)」でデビューしたとのことだが、シャワーは覚えていても歌はまったく記憶にない。

「平凡パンチ 3月1日号」の目次