[20C-0001]娯楽よみうり 1958年6月20日号

「20世紀バックナンバーズ」は、昭和中期頃の雑誌に掲載されていた記事を現代の視点で楽しむコレクションです。なにぶん古い雑誌から収集した記事ですので画像に汚れや破れが目立ちますが、何卒ご容赦ください。

誌名 娯楽よみうり 6月20日号
出版社 読売新聞社
発行日 1958(昭和33)年 6月20日
表紙 三ツ矢歌子

若かりし頃の初代カツオ君

ミヤシタニッポン放送「クイズの王様」でインタビュアーを務めていた高橋和枝の紹介記事。高橋和枝といえば、アニメ「サザエさん」の初代磯野カツオ役でおなじみだが、「鉄人28号」の金田正太郎、「快獣ブースカ」のブースカなど、昭和のコドモ達にとって忘れがたい声優。当時29歳。「最近とみに元気がいい」女性インタビュアーとして注目を浴びていた模様。ヘアスタイルがとても可愛い。

古川緑波の連載記事

ミヤシタ編集者、随筆家としても活動していたコメディアン、古川ロッパによる連載エッセイ「ロッパの手当たり次第」。タイトルのデザインがオシャレ。
ウィキペディアによると「舞台活動では「ロッパ」、文筆活動では「緑波」と使い分けた」とのことなので、このエッセイでは芸能活動の話を中心に書いていたのだろうか。今回のお題は「第三大阪だより」。大阪で見た映画の話から始まって、大阪の寿司のエビのおどりが大好きという話から大阪の高級喫茶店でのコーヒーの話から小林一三のお墓参りをした話に流れ、そして最後は「コーヒーをほめている間に、歌劇のほうの感想を書く余地がなくなってしまったことは、小林翁よ、ごめん下さい」と締めている。さすがは食通&名随筆家として名高いロッパ。うまいねどうも。

1958年の伊東ゆかり

ヨシノ1960年生まれの私が物心ついた頃には伊東ゆかりはもう大人の歌手。こんな若くして注目された天才少女とは知らなかった。ちなみにこの記事で紹介されているもう一人の少女は「翼ひろみ」。その後の活躍について調べてみたところ、東宝の映画数本に名前が見える。大スターにはなれなかったらしい。二人の天才少女の運命を分けたものは一体。

1958年の竹久みち

ヨシノ私が竹久みちを知ったのは1982年の三越事件。当時の三越社長「岡田「天皇」茂」の会社の私物化に業を煮やした幹部が反旗を翻し、取締役会で岡田を解任に持ち込んだ事件で、岡田が口にした「なぜだ」という台詞は話題になった。この時「竹久「女帝」みち」も岡田の愛人として脚光を浴びることとなった。こののち竹久は特別背任罪で逮捕、最高裁で有罪となり服役、2009年には死去している。三越事件から遡ること24年、当時27歳、右肩上がりの竹久は「『女の夢』のデザイナー」「輝くヒトミと小麦色のハダの持主」と手放しで称賛されている。

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