「古雑誌広告愛好会」は、昭和中期頃の雑誌に掲載されていた、現代とは一味違う広告をコレクションして楽しむ会です。なにぶん古い雑誌から収集した広告ですので汚れや破れが目立ちますが、何卒ご容赦ください。

品名 | 明治キャラメル ホワイトクリーム |
掲載誌 | 女性セブン |
出版社 | 小学館 |
発行日 | 1972(昭和47)年2月16日 |
ミヤシタ
日本に初めてジャイアントパンダが来たのがこの年の秋、1972年10月。
右下に小さく「賞品はアンアン・ショップからさしあげます」とあるが、雑誌「アンアン」のトレードマークといえばパンダ。これはやはり雑誌の「アンアン」関係のお店なのだろうか。
ところで「太田出版ケトルニュース」によると、雑誌の名付け親は東北の男子高校生だが、アンアンとパンダの関係は以下の通りだそうだ。
右下に小さく「賞品はアンアン・ショップからさしあげます」とあるが、雑誌「アンアン」のトレードマークといえばパンダ。これはやはり雑誌の「アンアン」関係のお店なのだろうか。
ところで「太田出版ケトルニュース」によると、雑誌の名付け親は東北の男子高校生だが、アンアンとパンダの関係は以下の通りだそうだ。
「誌名の『an・an(アンアン)』は、読者募集で選ばれた名前です。名づけ親は、東北の男子高校生の方でした。名前の由来としては『五十音の最初と最後を並べて”アンアン”とした』とのコメントが残っています」
「いまとなってはもう時効だと思いますが、名前を公募する前に、社内では、モスクワのパンダの名前に由来して ”アンアン”という誌名もパンダをマークに採用することも内定していたようです。ただ、偶然にも実際に”アンアン”という名前で応募してきた方がいたので、その名前を採用したようですね」
(雑誌「アンアン」はモスクワのパンダの名前だった)
一方「Techinsigh」によると、名付け親は黒柳徹子なのだという。
黒柳はロンドンの動物園でロシアから来園していたパンダ“アンアン”を見たとき、その可愛らしさに心奪われたそうだ。帰国後にその可愛さを周囲の人に熱弁していると、その中にいた雑誌関係者が「アンアンって名前、かわいいわね、アから始まってンで終わるなんて、とってもシャレてる」と雑誌名を決定したという。それゆえ、創刊当初の同誌ではパンダのイラストが使用されていたそうだ。
(黒柳徹子と雑誌『an・an』のつながりにファン驚き「名付け親だったなんて!」)
「オトナの事情」というフレーズが脳裡をぐるぐる去来する件ではある。