「大きな古時計」―おじいさんは本当に死んだのか―

ずっと気になっていた。「おかあさんといっしょ」でも時々歌われる「大きな古時計」の訳詞である。
詞の中に「おじいさんの時計」という言葉がでてくるのだが、学生時代習った知識では「grandfather’s clock」は床置きの大きな振り子時計の一般名称だったはずである。所有者が孫でも嫁でも「grandfather’s clock」なのだ。

そこで疑問である。「grandfather’s clock」という歌詞を「おじいさんの時計」と訳すのは誤りではないのか。もしかしたら元の歌詞には肝心のおじいさんさえ登場していないのではないか。訳詞の最後でおじいさんは死んでしまうことになるが、おじいさんは訳詞の都合上殺されてしまったのではないか。
訳詞は保富康午とある。保富がおじいさんを殺した張本人ではないだろうか。

この疑問を解決すべく元の歌詞にあたってみた。
全歌詞の引用はあまりよろしくないので、元の歌詞を以下に直訳してみた。粗訳御免。

1. おじいさんの時計は大きすぎて棚には置けない
だから90年間床に置いてあった。
おじいさんよりずっと背が高いけど
同じくらいの重さの時計だ。
おじいさんが生まれた日の朝に買われて
いつも彼の宝物だった。
けれどおじいさんが死んだ時、時計も止まり、動かなくなってしまった。
※90年間とまらずに チクタク チクタク
人生の一秒一秒を数えて チクタク チクタク
おじいさんが死んだ時、時計も止まり、動かなくなってしまった。

2. 振り子が揺れるのを見ながら
おじいさんは長い子供時代を過ごした。
子供の頃も大人になってからも、時計は彼の喜びや悲しみを知り、
わかちあっていたように見える。
彼が美しい花嫁を連れてドアをくぐった時
時計は24回鳴った。
けれどおじいさんが死んだ時、時計も止まり、動かなくなってしまった。
(※くりかえし)

3. おじいさんはこんなに誠実な召使いはいないと言っていた。
時計は1秒も無駄にしないし、
毎週ねじをまいてもらうこと以外は
余計な望みをもたないから。
不機嫌な顔をすることもなく、手を休めることもなく、
自分の場所を守っているから。
けれどおじいさんが死んだ時、時計も止まり、動かなくなってしまった。
(※くりかえし)

4. 夜おじいさんが死んだ時、時計が鳴った。
何年もずっと鳴らなかったのに。
私達はおじいさんとお別れの時が来て、
彼の魂が昇っていくのを知った。
柔らかく抑えた音で時計は時を刻み続け、
私たちは静かにおじいさんのもとに立っていた。
けれどおじいさんが死んだ時、時計も止まり、動かなくなってしまった。
(※くりかえし)

なあんだ、結局おじいさんは死んでいたのだ。ああほっとした。ほっとしちゃいかんか、お悔やみ申し上げます。また訳詞が元の歌詞におおむね忠実に訳されていることに驚いた。保富氏に疑いをかけたことを謝るとともに、その見事な訳詞を讃えよう。

「大きな古時計」の作詞作曲はヘンリー・クレイ・ワーク。1832年アメリカ・コネチカット生まれ。アメリカ大衆音楽の雄フォスター(1826年生まれ)と同時代の作曲家だ。
「大きな古時計」は1876年の作品なので、すでに130年近く昔の歌だということになる。2001年8月、NHK総合で平井堅がヘンリー・クレイ・ワークの生家を訪ねる番組が放映され、その中で「大きな古時計」のモデルとなった時計も登場したらしい。
また訳詞の保富康午氏はアニメ界では著名な作詞者であった。「ドカベン」「宇宙海賊キャプテンハーロック」「UFOロボ グレンダイザー」「おじゃまんが山田くん」「おれは鉄兵」「ラ・セーヌの星」を始めとする多くのアニメに詞を提供している。 【吉】

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