ファミリーコンサートチケット発売日

噂には聞いていた。
NHKホールで行われる「おかあさんといっしょ」の春と秋のファミリーコンサートのチケットは、入手困難、プラチナチケットだと。そんなわけで、今まではテレビ中継や市販されるビデオで我慢していたのだった。
しかし、今年は番組の私設ファンサイトまで開いてしまった以上、意地でも行かねばなるまい。この目でナマのファミリーコンサートを見なければ気がおさまらぬ。

私は今年36歳。はっきりいってイイ年だ。チケット発売当日に電話をかけまくるとか、チケットセゾンの前に早朝から並ぶとか、あるいは徹夜するとか、そういった若者のような真似はできれば避けたい。しかし、今回はそうも言っていられない。取るぜ、チケット。かけるぞ、電話。

1998年4月1日。
この日が、問題の「おかあさんといっしょファミリーコンサート」のチケット発売日である。「チケットぴあ」と「チケットセゾン」で電話予約のみ受け付けるという。
「チケットぴあ」は、「ファミリーコンサート」専用の一般回線と、プッシュホン専用の回線の2本、「チケットセゾン」は、フリーダイヤルが1本用意されている。発売開始は午前10時。「ファミリーコンサート」事情に詳しい方によれば、即日完売は当たり前で、発売開始1時間ほどが勝負であろう、とのこと。

発売されるチケットは、A席(2500円)、B席(2000円)、C席(1500円)の3種である。会場のNHKホールは、2階席はまだしも、3階席は、天井にぶらさがっているかのような、高所恐怖症の人には絶対にすすめられないオソロシイ席だった覚えがある。そんなところに座るのはイヤだ。佐藤弘道に「2階、3階のおともだちは危ないから席に座ったまま体操してねー」と言われるのはイヤだ。
コンサートは、5月2日(土)、3日(日)、4日(月)の、ゴールデンウィークにそれぞれ午前と午後の2回ずつ行われる。普段より公演回数が多いので、チケット入手は少し容易になるかもしれない。

午前9時45分。
NTTとDDIポケット(PHS)、2本の回線を駆使して電話をかけまくるつもりである。念のため、電話番号を確認しておこう。「チケットぴあ」は2本ともOK、問題なし。「チケットセゾン」は……なんということだ、フリーダイヤルの地域外とかで、使えないではないか! ということは、フリーダイヤル地域からアクセスできる人は、かなり有利なのではないか?

しかし、私が住んでいるのは千葉県浦安市。10分も歩けば東京都に突入してしまうという場所である。それなのに、チケットセゾンのヤツときたら、つなぐわけにはいかないと頑なに言うのである。
まあ、とにかく我が家を見にこい。千葉県とはいえ、東京のすぐ隣なんだからさ。

そんなことを電話に語ったとて、無為に時間が過ぎていくばかりなので、「セゾン」はあきらめ、悔しいけれど「ぴあ」でチャレンジである。発売開始の10時は目前だ。

午前10時。
左手にPHS、右手でNTTを操り、「チケットぴあ」にアクセス。この時点では、まさかこれから3時間余りもこんなことを繰り返すことになろうとは想像もしなかった。せいぜい11時頃にはつながるだろう、などと考えていた私。

甘かった。

「おかあさんといっしょファミリーコンサート」の威力を見くびっていたよ、私は。
つながる気配もない。
NTTは「プーップーップーッ」という話し中の音、PHSは「こちらはNTTです」で始まる電話混雑のお知らせ。それ以外の音はまるで聞こえないのである。
ひたすら「プーップーップーッ」と「NTTです」「おかけなおしくだ」「在この電話番号は」「もうしばらくしてから」の連続。ただし、NTTのメッセージは、消え入るような小さな声のもの、ハッキリとした聞きやすい声のもの、少々くどい感じの癖の強い言い方のものなど、同じ内容ながらも5人ほどのバージョンがあった。

メッセージのバージョン違いがあったからといって、それが何の慰めになろうか!

1時間が過ぎるのはあっというまであった。
私がリダイヤルボタンを押しつづけていると、当サイトの掲示板に、続々と「チケットゲット!」の報が入ってくる。
気が焦る。なんとか午前中につながってくれ!

12時。
「おかあさんといっしょ」の主な視聴者であるところの乳幼児どもの昼メシどきである。これで少しは戦いがラクになるのではないだろうか?

などと思った私は、本当に甘ちゃんである。

よく考えれば、この時間は会社の昼休みではないか。父親や会社勤めの母親たちは、上司同僚の目を気にせず堂々と電話がかけられる時間だ。
状況は今までと全く同じ。相変わらず、「プーップーップーッ」と「NTTです」「おかけなおしくだ」が電話口から虚しく響くばかりである。

時計の針は、午後1時をまわった。
この頃から、話し中の「プーップーップーッ」の音の前に、わずかな間があくことが増えてきた。そろそろつながるやもしれぬ。だが、もうチケットは残っていないのではないだろうか? 電話がつながると同時に「売り切れました」の録音メッセージが流れるのではないだろうか?
段々イヤになってくる。3時間にわたってPHSを押しつけていた左の耳が痛い。しかし、ここまでやってきたのだから、売り切れのメッセージでも構わない、どうせなら最後までつきあってやろうじゃないの。

午後1時15分。
ぷつっ、という音とともに、ついに「チケットぴあ」につながった。

「も、も、もちろんA席はうりうりうりきれですよね?」
「はい、A席B席ともに売り切れております」

ああ、ダメだったか。NHKホールの天井にぶらさがるしかないのか!

いや、迷っている暇はない。すぐに注文しなければ。この間にも売り切れてしまうかもしれない。
私は若い頃、小劇場系の演劇に夢中になっていた時期があり、チケットを取るなら千秋楽(最終日)という習慣があった。千秋楽の公演は、役者のテンションが高く、また劇団によっては次回作の予告や、普段はない演出家の挨拶など、特別なことが起こる可能性が高かったからだ。

若い頃に身についた習慣というのは恐ろしい。
私は迷うことなく最終公演の5月4日午後のチケットを注文していたのである。今、改めて考えれば、別に最終日じゃなくても良かったようにも思えるのだが。
万が一、最終公演で普段と違った演出があったら儲けものだが、「おかあさんといっしょ」のコンサートを小劇場と一緒に考える方が無茶であろう。C席といえども、チケットが入手できた僥倖に感謝せねばなるまい。

コンサートの最初に出演者が挨拶するが、「2階、3階のみんなー、ゲンキですかあー?」と、キュートな松野が叫ぶのが恒例なので、それを楽しみにコンサートに行こう。
とにかく、当日体調を崩さぬよう、3階席から転がり落ちぬよう気をつけねばと思うばかりである。【み】

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