「大奥〜第一章〜」に赤い鼻は要らない

瀧山トァアキヤムァでございます」などとヘンに力の入った浅野ゆう子の摩訶不思議な台詞回しや首もとの皺をわざと見せびらかすようなミョーな所作、安達祐実のフリークスめいた愛らしさにハートをわしづかみにされ、普段滅多にドラマを見ない私がついズルズルと毎週見てしまった「大奥」(フジテレビ)。
10月7日スタートの「大奥〜第一章〜」(フジテレビ)はその続編だが、今回は時代をさかのぼり、大奥のシステムを作ったといわれる春日局が主人公である。第1回目は、春日局こと斎藤福が如何にして三代将軍家光の乳母になったかというお話。

春日局を演じる松下由樹はとにかくデカい。無論、大人物という意味ではなく、文字通りのデカさである。
現代劇の場合、その体格の良さが“姐御肌”とか“頼りがいのある先輩”といったキャラクタに結びつくのだろうが、松下のボリューム満点のボディは時代劇のサイズを大幅に超えている。たとえば“女相撲の横綱”役なら納得もいくが、武家の娘、武家の嫁には到底見えない。この時代にこの体格だったら、さぞかし目立ったことだろう。

夫に離縁され、幼い頃に世話になった家を頼ろうと京都を目指してとぼとぼ歩いていくシーンにも違和感がある。堂々と肩をそびやかしのしのし歩く松下。今まで時代劇であんなにゆっさゆっさと肩を揺らして歩く武家女がいただろうか。斬新過ぎ。これが現代劇なら“仕事のできるキャリアウーマン”的な雰囲気を醸し出すのかもしれないが、夫、子どもと不本意な別れをしたばかりの哀れな武家の妻の歩き方ではないのである。
また、食うや食わず、というシチュエーションを表現したかったのだろうが、旅の途中、握り飯らしきものを道端でガツガツとむさぼり喰う演出もヘンだ。武家の娘として生まれ、幼い頃、公家の家で和歌などの教養を身につけ、武家に嫁いだという女が、人前であんな食べ方をするとは思えない。
春日局と対立する家光の実母・お江与役の高島礼子のクッキリ縁取りした口紅とかお産のシーンなのにやけに黒々とした眉毛とか、些細なことを含めて違和感を感じる点をあげればキリがないが、コレを時代劇と思わず、“江戸時代のコスプレをして演じる現代劇”と割り切って見れば良いのだ。

絢爛豪華な衣装、すっかり渋くなったが相変わらず格好いい梶芽衣子(朝比奈)、藤田まこと(バリバリの三河弁で喋る徳川家康)のまるでその場面だけ別のドラマになっちゃったみたいな圧倒的な存在感など、見どころはたくさんある。文句をつけつつ、今回も毎週欠かさず見てしまう予感がする。
しかし、どうしても納得できないのが、前作「大奥」から引き続き同じ役名、同じ役柄で登場する鷲尾真知子(葛岡)、久保田磨希(浦尾)、山口香緒里(吉野)の3人だ。

前作「大奥」の最後に登場した将軍は十五代慶喜(1837〜1913)、今作は三代家光(1604〜1651)。ざっと200年のタイムラグがある。ということは、この3人、200年もの間ずっと大奥に勤め続けている妖怪のような女たちである。推定年齢220歳、いや230歳か…ってなわけもなく(もしそういう設定ならいっそ愉快だが)、単に前作で視聴者の評判が良かったか、作り手側が気に入っていたか、あるいはなんらかの義理だのしがらみだのが絡んでの続投であろう。

当時の大奥の女中というのは家柄、人柄、教養など、かなり厳しく選考されていたはずだが、この3人には大奥の台所で献上された菓子などを口いっぱい頬張りながらやけに砕けた口調でペラペラお喋りに興ずるシーンが割り振られている。まるで町場のおかみさんの井戸端会議。というか、あたかも給湯室で同僚の陰口を叩く女子社員たちのような演技である。
ドロドロと重たい人間関係が絡み合うドラマの中でほっと一息つけるコメディリリーフとしての役回りを与えているつもりだろうが、何事にも程というものがある。いや、過剰な演出でも面白ければまだ救いがあるのだ。
「大奥勤めだってしょせん普通の女の子だもんね」「昔の女の子だってお菓子食べるの大好きだし」「赤い鼻してるのが笑っちゃうでしょ」「面白いでしょ、ねえ面白いでしょ」と無理矢理笑いを押しつけられているようで不快なのである。ちっとも面白くないのに。

“江戸時代のコスプレをして演じる現代劇”というファンタジードラマにガチガチのリアリティを求めるつもりなどないが、脇役が大奥女中の格をキチンと表現しておかないと、その上に立つ主人公やら将軍やらがひたすら安っぽく見えてしまう。せめて浦尾の鼻をあからさまに赤く塗るのだけはやめておけ。【み】

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